グプタ朝とヒンドゥー教
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (イ) の「仏教の成立とヒンドゥー教,南アジアと東南アジアの諸国家など」のうち、ヒンドゥー教が社会に根づいたグプタ朝と、それに続くヴァルダナ朝を扱います。
思考力の事項は、南アジアと東南アジアにおける宗教や文化の特色を考察するよう求めています。
0. 何を押さえるか
4 世紀に北インドを統一したグプタ朝のもとで、バラモン教に民間の信仰が溶け合ったヒンドゥー教が人々の生活に根づき、
サンスクリット語による文学や、インド独自の美術(グプタ様式)が生まれました。仏教も学問として栄えましたが、
しだいにヒンドゥー教に押されていきます。
| グプタ朝 | ヴァルダナ朝 | |
|---|---|---|
| 成立 | 4 世紀前半 | 7 世紀前半 |
| 都 | パータリプトラ | カナウジ |
| 代表的な王 | チャンドラグプタ 2 世 | ハルシャ王 |
| 訪れた中国の僧 | 法顕(東晋) | 玄奘(唐) |
| その後 | エフタルの進入などで衰え、6 世紀半ばに滅亡 | 王の死後まもなく分裂 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 法顕はグプタ朝、玄奘はヴァルダナ朝の時代にインドを訪れた。法顕は東晋、玄奘は唐の僧
- ヒンドゥー教には特定の開祖がいない。仏教やジャイナ教が開祖をもつのと対照的
- グプタ様式はインド独自の美術、ガンダーラ美術はヘレニズムの影響を受けた美術。アジャンター石窟寺院の壁画はグプタ様式
1. グプタ朝の統一
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
クシャーナ朝が衰えたのち、4 世紀前半にチャンドラグプタ 1 世がグプタ朝を建て、北インドを統一しました。
4 世紀前半に成立し、パータリプトラを都として北インドを統一した王朝は?
グプタ朝
マウリヤ朝と同じくガンジス川流域のパータリプトラを都としたが、建てた人物(チャンドラグプタ 1 世)は別人。
グプタ朝の最盛期の王で、北インドのほぼ全域を支配した人物は?
チャンドラグプタ 2 世
中国では「超日王」と呼ばれた。
東晋の僧・法顕がインドを訪れたとき、北インドを治めていた王朝は?
グプタ朝(チャンドラグプタ 2 世の時代)
法顕は陸路でインドへ行き、海路で帰国して旅行記『仏国記』を残した。
グプタ朝が衰えた原因のひとつとなった、中央アジアの遊牧民の進入は?
エフタル
エフタルはのちに、ササン朝と突厥に挟み撃ちにされて滅んだ。
2. ヒンドゥー教の定着
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
グプタ朝の王たちはバラモンを重んじ、バラモンの言葉であるサンスクリット語が宮廷の言葉となりました。
こうしたなかで、ヒンドゥー教が南アジアの人々の日常に広く根づいていきます。
ヒンドゥー教は、どのようにして成立した宗教か?
バラモン教に、各地の民間の信仰や慣習が取り込まれて成立した
特定の開祖も、ただひとつの聖典ももたない。多くの神々を信じる多神教である。
ヒンドゥー教で特に信仰を集めた 2 柱の神は?
シヴァ神とヴィシュヌ神
シヴァは破壊と創造、ヴィシュヌは世界の維持をつかさどるとされる。
グプタ朝の時代までにまとめられ、ヴァルナごとの義務や生活の規範を定めた法典は?
マヌ法典
ヒンドゥー教徒の生活の規範となり、ヴァルナ制の考え方を社会に定着させた。
グプタ朝の時代に仏教はどうなったか?
ナーランダー僧院などで学問として栄えたが、民衆の間ではしだいにヒンドゥー教に押された
のちにヒンドゥー教が広まり、さらにイスラーム勢力が進出すると、インドでは仏教が衰えた。
3. グプタ様式とサンスクリット文学
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
グプタ朝の時代は、インドの古典文化が完成した時代とされます。
文学・美術・数学のいずれでも、外からの影響よりもインド独自の表現が前に出ました。
グプタ朝の時代に現在の形にまとめられた、インドの二大叙事詩は?
『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』
どちらもサンスクリット語で書かれ、東南アジアにも伝わって影絵芝居などの題材になった。
グプタ朝の宮廷詩人カーリダーサが書いた、サンスクリット語の戯曲は?
『シャクンタラー』
王と森の娘シャクンタラーの恋を描いた作品。
グプタ様式の美術の代表として知られる、デカン高原の石窟寺院の壁画は?
アジャンター石窟寺院の壁画
ガンダーラ美術と違い、ギリシアの影響の薄いインド独自の表現(グプタ様式)で描かれた。日本の法隆寺金堂の壁画との関わりが指摘されている。
グプタ朝の時代のインドで発達し、のちにイスラーム世界を通じて広まった数学の考え方は?
ゼロの概念と十進法
インドの数字の書き方は、アラビア数字としてヨーロッパに伝わった。
4. ヴァルダナ朝
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
グプタ朝が滅んだのち、7 世紀前半にハルシャ王がヴァルダナ朝を建て、北インドをふたたびまとめました。
しかし王の死後に分裂し、北インドは長い分立の時代に入ります。
7 世紀前半にヴァルダナ朝を建て、カナウジを都として北インドを統一した王は?
ハルシャ王(ハルシャ=ヴァルダナ)
仏教を保護したが、王の死後まもなく王朝は分裂した。
ヴァルダナ朝の時代にナーランダー僧院で学び、帰国後に『大唐西域記』を著した唐の僧は?
玄奘
陸路で往復した。7 世紀後半には義浄が海路でインドへ行き、『南海寄帰内法伝』を著した。