仏教の成立とインドの統一王朝
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (イ) の「仏教の成立とヒンドゥー教,南アジアと東南アジアの諸国家など」のうち、前半の仏教の成立と、南アジアで最初に生まれた統一王朝を扱います。
内容の取扱いは、国家と宗教の関係や、異なる宗教の共存に気付くよう求めています。
0. 何を押さえるか
前 6〜前 5 世紀ごろ、ガンジス川流域に都市国家が生まれ、バラモンの祭式を中心とする宗教を批判する新しい教えが現れました。
そのひとつが仏教です。仏教は、南アジアを初めて広く統一したマウリヤ朝のアショーカ王に保護され、
クシャーナ朝の時代には大乗仏教が生まれて、中央アジアを通って東アジアへ広がっていきました。
| マウリヤ朝 | クシャーナ朝 | |
|---|---|---|
| 成立 | 前 4 世紀末 | 1 世紀 |
| 建てた人々 | チャンドラグプタ(インドの王朝) | イラン系の人々(大月氏から自立) |
| 都 | パータリプトラ(ガンジス川流域) | プルシャプラ(西北インド) |
| 代表的な王 | アショーカ王(前 3 世紀) | カニシカ王(2 世紀) |
| 仏教との関わり | ダルマ(法)による統治、仏典の結集、スリランカへの布教 | 大乗仏教の広がり、ガンダーラ美術 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 仏教の開祖はガウタマ=シッダールタ、ジャイナ教の開祖はヴァルダマーナ。どちらもヴァルナ制とバラモンの権威を否定したが、ジャイナ教は苦行と徹底した不殺生を重んじた
- アショーカ王はマウリヤ朝、カニシカ王はクシャーナ朝。同じく仏教を保護した王だが、時代も王朝も違う
- 上座部仏教はスリランカから東南アジアへ、大乗仏教は中央アジアから中国・朝鮮・日本へ広まった
1. 新しい宗教の誕生
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
ガンジス川流域で農業と商業が発達し、コーサラ国やマガダ国などの国々が力をつけると、
祭式を独占するバラモンに対して、クシャトリヤ(王侯・武人)やヴァイシャ(商人)が新しい教えを支持するようになりました。
ウパニシャッド哲学は、解脱に至る道として、バラモン教の祭式にかえて何を重んじたか?
内面の思索によって、宇宙の根本(ブラフマン)と自己の本体(アートマン)が一体であると悟ること(梵我一如)
祭式ではなく知による解脱をめざした。のちのインドの思想に大きな影響を与えた。
シャカ族の王子として生まれ、八正道の実践によって苦しみから解脱できると説いて仏教を開いた人物は?
ガウタマ=シッダールタ(ブッダ)
生まれによる身分の差別(ヴァルナ制)を否定したため、クシャトリヤや商人の支持を集めた。
ヴァルダマーナが開いたジャイナ教は、仏教と比べて何を特に重んじたか?
厳しい苦行と、徹底した不殺生
生き物を傷つけない戒律が厳しく、農業よりも商業にたずさわるヴァイシャに信者が多かった。
仏教とジャイナ教に共通する点は?
ヴァルナ制とバラモンの権威を否定したこと
生まれではなく、本人の修行や行いによって解脱できると説いた。
2. マウリヤ朝とアショーカ王
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
アレクサンドロス大王の軍が西北インドに進入して去ったあとの混乱のなかで、マガダ国からマウリヤ朝がおこり、
南端を除くインドのほぼ全域を支配しました。
前 4 世紀末、チャンドラグプタが建て、パータリプトラを都とした、インド初の統一王朝は?
マウリヤ朝
アレクサンドロス大王の西北インドへの進入のあとに建国された。
アショーカ王が仏教に深く帰依するきっかけとなった出来事は?
カリンガ国の征服で多くの犠牲を出したこと
戦争の悲惨さを悔い、以後は武力ではなくダルマ(法)による統治をめざした。
アショーカ王は、ダルマ(法)による統治の考えを人々にどのように伝えたか?
各地の岩や石柱に詔勅を刻ませた(磨崖碑・石柱碑)
特定の宗派だけでなく、社会の倫理として法を守ることを説き、他の宗教を信じる人々にも寛容を求めた。
アショーカ王が仏教のために行ったことは?
仏典の結集と、スリランカ(セイロン島)などへの布教
スリランカに伝わった仏教は、のちに上座部仏教として東南アジアへ広まった。
アショーカ王の死後、マウリヤ朝はどうなったか?
急速に衰え、前 2 世紀初めに滅んだ
インドはふたたび分裂の時代に入り、西北インドには中央アジアからの勢力が進出した。
3. クシャーナ朝と大乗仏教
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(イ)
1 世紀になると、中央アジアから進出したイラン系の人々がクシャーナ朝を建て、西北インドを中心に栄えました。
東西を結ぶ交易路の要にあったこの王朝のもとで、仏教は新しい姿をとります。
1 世紀、西北インドにイラン系の人々が建て、プルシャプラを都とした王朝は?
クシャーナ朝
中央アジアとインドを結ぶ交易で栄え、ローマとの交易も盛んだった。
クシャーナ朝の最盛期の王で、仏教を保護した人物は?
カニシカ王(2 世紀)
アショーカ王(マウリヤ朝)と並んで、仏教を保護した王として知られる。
大乗仏教は、それまでの仏教と比べてどこが新しかったか?
自分の悟りだけでなく、すべての人々(衆生)の救済をめざしたこと
人々を救う菩薩への信仰が広まった。自分の修行による解脱を重んじる立場を、大乗の側は「小乗」と呼んだ(のちの上座部仏教)。
2〜3 世紀ごろ、大乗仏教の教理を理論的に体系づけた人物は?
ナーガールジュナ(竜樹)
「空」の思想を説き、大乗仏教の思想の土台をつくった。
ガンダーラ美術で仏像がつくられたことには、どの文化の影響があるとされるか?
ヘレニズム(ギリシア)の彫刻の影響
それまでブッダの姿は表されなかったが、ギリシア風の表現を取り入れた仏像が生まれた。仏像は大乗仏教とともに中国や日本へ伝わった。
大乗仏教と上座部仏教は、それぞれどの方面へ広まったか?
大乗仏教は中央アジアを経て中国・朝鮮・日本へ、上座部仏教はスリランカから東南アジアへ
日本に伝わった仏教は大乗仏教で、6 世紀に朝鮮半島の百済を通じて伝えられた。