古代ペルシアの諸帝国
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (ウ) の「西アジアと地中海周辺の諸国家,キリスト教とイスラームの成立とそれらを基盤とした国家の形成など」のうち、西アジアを統一した帝国と、イラン人の国家を扱います。
思考力の事項は、西アジアと地中海周辺の諸国家の社会や文化の特色を考察するよう求めています。
0. 何を押さえるか
西アジアでは、アッシリアが初めてオリエント全域を統一したのち、イラン人のアケメネス朝がエジプトからインダス川までを支配する大帝国を築きました。
アケメネス朝がアレクサンドロス大王に滅ぼされたあとも、イラン人はパルティア、ササン朝と国家を再建し、
地中海方面のローマと争いながら、東西の交易路を押さえました。
| アッシリア | アケメネス朝 | パルティア | ササン朝 | |
|---|---|---|---|---|
| 時期 | 前 7 世紀前半にオリエント統一 | 前 550〜前 330 | 前 3 世紀半ば〜後 224 | 224〜651 |
| 都 | ニネヴェ | スサ(ペルセポリスを造営) | クテシフォン | クテシフォン |
| 統治の特色 | 強圧的な支配 | 服属した民族に寛容 | 東西交易で栄える | ゾロアスター教を国教化 |
| 終わり | 反乱で崩壊(前 612) | アレクサンドロス大王 | ササン朝に倒される | イスラーム勢力に敗れる |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- アッシリアは強圧的、アケメネス朝は寛容。同じくオリエントを統一したが、アッシリアは重税と強制移住で反発を招き、短期間で崩れた
- パルティアとササン朝は、どちらもクテシフォンを都とし、ローマと争った。ゾロアスター教を国教としたのはササン朝
- ゾロアスター教は善と悪の二元論。最後の審判の考えは、のちのユダヤ教やキリスト教にも影響を与えたとされる
1. アッシリアとアケメネス朝
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
鉄製の武器と騎兵・戦車を用いたアッシリアが、前 7 世紀前半に初めてオリエント全域を統一しました。
その崩壊ののち、アケメネス朝がふたたびオリエントをひとつにまとめます。
前 7 世紀前半に、エジプトを含むオリエント全域を初めて統一した国は?
アッシリア
都はニネヴェ。服属した民族への重税や強制移住で反乱を招き、前 612 年に滅んだ。
アッシリアの滅亡後、オリエントに分立した 4 つの王国は?
エジプト・リディア・新バビロニア・メディア
リディアでは世界最古とされる金属貨幣がつくられ、新バビロニアはユダ王国の人々をバビロンに連れ去った(バビロン捕囚)。
前 6 世紀、新バビロニアを滅ぼして、バビロンに捕らわれていたユダヤ人を解放したアケメネス朝の王は?
キュロス 2 世
のちにカンビュセス 2 世がエジプトを征服し、アケメネス朝はオリエントを再統一した。
ダレイオス 1 世は、広大な領土をどのような仕組みで治めたか?
全国を州に分けて知事(サトラップ)を置き、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官に見回らせた
都を結ぶ「王の道」を整え、駅伝制を敷いて命令や情報をすばやく伝えた。
アケメネス朝は、服属した諸民族に対してどのような態度をとったか?
それぞれの宗教や慣習を認め、寛容に治めた
フェニキア人の海上交易やアラム人の陸上交易も保護した。強圧的だったアッシリアとの対比で押さえる。
2. パルティアとササン朝
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
アケメネス朝の滅亡後、イランはアレクサンドロスの後継国家のひとつセレウコス朝の支配下に入りましたが、
やがてイラン系の人々が独立してパルティアを建て、さらにササン朝がその後を継ぎました。
前 3 世紀半ばにセレウコス朝から独立し、東西交易路を押さえてローマと争ったイラン系の国は?
パルティア
中国では安息と呼ばれた。後 224 年にササン朝に倒された。
224 年にパルティアを倒してササン朝を建てた人物は?
アルダシール 1 世
アケメネス朝の伝統を受け継ぐイラン人の国家の再興を掲げた。
3 世紀、ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしたササン朝の王は?
シャープール 1 世
ササン朝は西ではローマ(のちにビザンツ帝国)と、東では遊牧民と争った。
6 世紀、突厥と結んでエフタルを滅ぼし、ビザンツ帝国とも争ったササン朝の王は?
ホスロー 1 世
ササン朝の最盛期を築いた。
ササン朝が滅んだきっかけとなった出来事は?
642 年のニハーヴァンドの戦いでイスラーム勢力に敗れたこと
651 年に滅亡し、イランはイスラーム世界に組み込まれていった。
ササン朝の美術工芸品が日本に伝わっていることを示す例は?
正倉院に残るガラス器などの工芸品
ササン朝の技術や意匠は、シルク=ロードを通じて中国(唐)へ伝わり、遣唐使を通じて日本にも届いた。
3. ゾロアスター教とマニ教
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
イラン人の宗教であるゾロアスター教は、アケメネス朝の時代から信仰され、ササン朝で国教とされました。
ササン朝では、この教えにほかの宗教の要素を合わせたマニ教も生まれました。
世界を善の神と悪の神の戦いとみる、イラン人の宗教は?
ゾロアスター教(拝火教)
善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの戦いののち、最後の審判が行われると説いた。中国では祆教と呼ばれた。
ササン朝の時代に編纂された、ゾロアスター教の教典は?
『アヴェスター』
ササン朝はゾロアスター教を国教とし、教義を整えた。
3 世紀のササン朝で、ゾロアスター教・キリスト教・仏教を融合して生まれた宗教は?
マニ教
ササン朝では異端として弾圧されたが、西は北アフリカ、東は中央アジアや中国にまで広まった。