古代ギリシアのポリス
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (ウ) の「西アジアと地中海周辺の諸国家」のうち、ギリシア人の都市国家(ポリス)を扱います。
思考力の事項は、西アジアと地中海周辺の諸国家の社会や文化の特色を考察するよう求めています。
0. 何を押さえるか
ギリシア人は、山がちな土地に数多くのポリス(都市国家)をつくり、地中海と黒海の沿岸に植民市を広げました。
ポリスの間では政治のしくみが大きく違い、アテネでは市民が直接政治に参加する民主政が発達した一方、スパルタは少数の市民が多くの隷属民を支配する軍国主義の国でした。
西アジアの大帝国アケメネス朝との戦い(ペルシア戦争)ののち、ポリスどうしの争い(ペロポネソス戦争)で力を失っていきます。
| アテネ | スパルタ | |
|---|---|---|
| 建てた人々 | イオニア人 | ドーリア人 |
| 政治 | 民主政(成年男性市民の直接民主政) | 少数の市民による軍国主義 |
| 支配された人々 | 奴隷(売買される) | ペリオイコイ(周辺民)・ヘイロータイ(隷属農民) |
| 率いた同盟 | デロス同盟 | ペロポネソス同盟 |
| 経済 | 交易・手工業が盛ん | 農業中心、貨幣の使用や外国との交流を制限 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- アテネの民主政は成年男性市民だけのもの。女性・奴隷・在留外人は政治に参加できなかった
- ペルシア戦争(前 5 世紀前半)はギリシア対ペルシア、ペロポネソス戦争(前 431〜前 404)はアテネ対スパルタ
- ソロンは財産による参政権の区分、クレイステネスは血縁によらない 10 部族制と陶片追放。改革の順番はソロン → ペイシストラトス(僭主)→ クレイステネス
1. ポリスの成立
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
前 2000 年紀のエーゲ海には、クレタ文明やミケーネ文明が栄えましたが、前 1200 年ごろに衰えました。
その後、前 8 世紀ごろから、ギリシア人は各地で有力者のもとに集住し、ポリスをつくっていきます。
ミケーネ文明で使われ、ヴェントリスによって解読された文字は?
線文字 B
ギリシア語を書き表したものだった。クレタ文明の線文字 A は未解読。
ポリスの中心に置かれた、城山(神殿が立つ丘)と広場をそれぞれ何という?
アクロポリス(城山)とアゴラ(広場)
アゴラは市場や集会の場で、市民の生活と政治の中心だった。
ポリスどうしは独立していたが、ギリシア人は同じ民族としての意識をもっていた。彼らは自分たちと異民族をそれぞれ何と呼んだか?
ヘレネス(自分たち)とバルバロイ(異民族)
同じ言葉と神々を共有し、オリンピアの祭典やデルフォイの神託を通じて結びついていた。
ギリシア人が地中海と黒海の沿岸に建てた植民市の例を挙げると?
マッサリア(いまのマルセイユ)、ネアポリス(ナポリ)、ビザンティオン(イスタンブル)など
人口の増加や交易の拡大を背景に、各地に植民市が建てられた。
2. アテネの民主政とスパルタ
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
はじめポリスの政治は貴族が握っていましたが、交易で豊かになった平民が武具を自分でそろえて重装歩兵として戦うようになると、
平民も政治への参加を求めるようになりました。
前 6 世紀初め、アテネで財産額に応じて市民の参政権を定め、借金による奴隷化を禁止した人物は?
ソロン
貴族と平民の対立をやわらげようとした改革だった。
前 6 世紀末、アテネで血縁による 4 部族を地縁による 10 部族に改め、陶片追放の制度をつくった人物は?
クレイステネス
陶片追放は、僭主(非合法に権力を握った独裁者)になるおそれのある人物を投票で国外に追放するしくみ。
ペリクレスの時代に完成したアテネの民主政は、どのような特色をもっていたか?
成年男性市民全員が参加する民会で国の方針を決める直接民主政
将軍などを除く多くの役職は抽選で選ばれた。女性・奴隷・在留外人は参政権をもたなかった。
スパルタで、市民に支配されて農業に従事させられた隷属農民は?
ヘイロータイ(ヘロット)
少数の市民が多数のヘイロータイを支配し続けるため、市民は幼いころから厳しい軍事訓練を受けた(リュクルゴスの制)。
3. ペルシア戦争とペロポネソス戦争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
前 5 世紀、アケメネス朝の支配下にあった小アジアのイオニア地方のポリスが反乱を起こしたことから、ペルシア戦争が始まりました。
勝利したアテネはポリスの間で力を強めましたが、それがスパルタとの対立を生みます。
ペルシア戦争のきっかけとなった、前 500 年の出来事は?
ミレトスを中心とするイオニア地方のギリシア人ポリスの反乱
アテネがこの反乱を支援したことが、アケメネス朝のギリシア遠征につながった。
前 480 年、テミストクレスの率いるアテネ海軍が中心となってペルシア艦隊を破った戦いは?
サラミスの海戦
前 490 年のマラトンの戦いでは、アテネの重装歩兵がペルシア軍を破った。
サラミスの海戦での勝利は、アテネの民主政にどのような影響を与えたか?
三段櫂船の漕ぎ手として活躍した無産市民の発言力が強まり、民主政が進んだ
武具をそろえられない貧しい市民も、軍船の漕ぎ手として国防を担った。
ペルシア戦争後、ペルシアの再来に備えてアテネを盟主に結ばれた同盟は?
デロス同盟
アテネは同盟の資金を自国のために使うなどして、他のポリスを事実上支配するようになった。
ペロポネソス戦争(前 431〜前 404)の結果は?
スパルタを中心とするペロポネソス同盟が勝ち、アテネが敗れた
スパルタはペルシアの援助を受けた。アテネでは戦争中にペリクレスが疫病で亡くなり、扇動政治家(デマゴーゴス)が現れて政治が混乱した。
ポリスどうしの争いで疲れたギリシアを、前 338 年のカイロネイアの戦いで破った国は?
マケドニア(フィリッポス 2 世)
戦いののちコリントス同盟(ヘラス同盟)が結ばれ、スパルタを除くギリシアのポリスはマケドニアの指導下に入った。