明と日本・朝鮮と海域アジアの交易
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (イ) の「アジア海域での交易の興隆,明と日本・朝鮮の動向」を扱います。
明の朝貢と海禁のもとで、日本・朝鮮・琉球・東南アジアの港市はそれぞれのやり方で交易に加わりました。16 世紀には日本とアメリカ大陸の銀が中国に流れ込み、アジア海域の交易は大きく伸びます。
0. 何を押さえるか
15 世紀は朝貢の枠の中の交易、16 世紀は枠をはみ出した民間の交易が主役、と分けると整理できます。
| 15 世紀 | 16 世紀 | |
|---|---|---|
| 交易の形 | 朝貢貿易(勘合貿易など) | 密貿易・民間の交易が広がる |
| 担い手 | 各国の王の使節、琉球・マラッカの商人 | 中国人の密貿易商人、日本人、ポルトガル人 |
| 海の混乱 | 前期倭寇(14〜15 世紀) | 後期倭寇(中国人が多い) |
| 明の対応 | 海禁を守る | 1560 年代末に海禁を緩める |
| 主な商品 | 生糸・絹織物・陶磁器・銅銭 | 中国の生糸・陶磁器と、日本やアメリカ大陸の銀 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 前期倭寇は日本人が中心、後期倭寇は中国人が多数。後期倭寇は海禁に反発した密貿易の集団という面が強い
- 琉球は自分の産品が少ないのに、明への朝貢を利用した中継貿易で栄えた
- 16 世紀に中国へ流れ込んだ銀は、日本の銀とアメリカ大陸の銀の 2 つの道から来た。後者はスペインのマニラを経由した
1. 勘合貿易と倭寇
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
室町幕府の足利義満は明に使節を送り、朝貢の形で交易を始めました。一方で、東シナ海の沿岸では倭寇と呼ばれる海賊集団が活動しました。
日明間の朝貢貿易で、正式な使節の船であることを示すために用いられた証票は?
勘合
倭寇と区別するためのもので、この交易を勘合貿易という。明の港は寧波だった。
14〜15 世紀の前期倭寇と、16 世紀の後期倭寇では、担い手はどう違ったか?
前期は日本人が中心、後期は中国人が多数を占めた
後期倭寇は、海禁を破って交易しようとする中国の商人たちが中心で、日本人やポルトガル人も加わった。
明が 1560 年代末に海禁を緩めたことで、何が認められたか?
中国の民間商人が東南アジア方面へ渡航して交易すること
後期倭寇の活動はこれ以後おさまっていった。ただし日本への渡航は引き続き禁じられた。
2. 朝鮮王朝
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
14 世紀末、倭寇の撃退で名をあげた武将が高麗を倒し、朝鮮王朝を建てました。朝鮮は明に朝貢し、朱子学を国の教えとしました。
1392 年、高麗を倒して朝鮮王朝を建てた人物と、その都は?
李成桂、漢城(いまのソウル)
明に朝貢して冊封を受けた。朝鮮は日本とも使節を送りあい、交易を行った。
朝鮮王朝で、官僚を出して社会の支配層となった身分を何という?
両班
科挙を通じて官僚となり、朱子学の教養を重んじた。
朝鮮の世宗が 1446 年に公布した、朝鮮語を書き表すための文字は?
訓民正音(ハングル)
世宗の時代には金属活字による印刷も進んだ。
16 世紀末、豊臣秀吉が朝鮮に送った 2 度の出兵(1592 年・1597 年)を朝鮮では何と呼ぶか?
壬辰・丁酉倭乱
日本では文禄・慶長の役という。朝鮮の李舜臣の水軍や明の援軍が日本軍と戦った。明にとっても出兵の費用は大きな負担となった。
3. 琉球とマラッカ
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
明が民間の海上交易を禁じたことで、朝貢を認められた国の港が交易の中継地として栄えました。琉球とマラッカはその代表です。
15 世紀前半に琉球を統一した中山王の尚巴志が開いた王国は?
琉球王国
都は首里。明に朝貢し、明・日本・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易で栄えた。
琉球が、自国の産品が少ないのに交易で栄えることができたのはなぜか?
明に朝貢して得た中国の産品を、日本や東南アジアに運んで売る中継貿易を行ったから
海禁で中国の民間商人が海に出られなかったため、朝貢を認められた琉球が中継の役割を担った。
マラッカ王国が 15 世紀に交易の中心として栄えたのはなぜか?
マラッカ海峡をおさえ、明の後ろ盾を得て、インド洋と南シナ海の商人が集まったから
明の鄭和の艦隊も寄港した。1511 年にポルトガルに占領された。
4. 銀の流入
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
16 世紀になると、日本の銀とアメリカ大陸の銀が、中国の生糸や陶磁器を求めて大量に流れ込みました。銀は中国の税のしくみも変えます。
16 世紀に新しい精錬の技術で産出量が大きく増え、日本の銀の輸出を支えた、いまの島根県にある銀山は?
石見銀山
朝鮮から伝わったとされる精錬の技術(灰吹法)で産出量が増えた。日本の銀は中国の生糸などと交換された。
スペインがアメリカ大陸の銀をアジアに運ぶ拠点とした、フィリピンの港市は?
マニラ
1571 年にスペインが拠点とし、メキシコのアカプルコとの間をガレオン船で結んだ。銀は中国の商人を通じて中国へ流れた。
16 世紀の明で、さまざまな税や労役をまとめて銀で納めさせるようにした税制は?
一条鞭法
大量の銀が流れ込み、銀が税の支払いに使われるほど広く行き渡ったことを背景とする。