大航海時代とスペイン・ポルトガル
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (2) ア (イ) の「スペインとポルトガルの活動など」を扱います。事項は、これらを基に「諸地域の交易の進展とヨーロッパの進出」を理解することを求めています。
15 世紀末、イベリア半島の 2 つの国が新しい航路を開き、ヨーロッパの船がアジアとアメリカ大陸に直接乗り出していきました。
0. 何を押さえるか
ポルトガルは東回りでアジアへ、スペインは西回りでアメリカ大陸へ向かいました。
| ポルトガル | スペイン | |
|---|---|---|
| 航路 | アフリカ南端を回ってインド洋へ(東回り) | 大西洋を西へ(西回り) |
| 代表的な航海者 | バルトロメウ=ディアス、ヴァスコ=ダ=ガマ | コロンブス、マゼラン(の艦隊) |
| アジアの拠点 | ゴア・マラッカ・マカオ | マニラ |
| 進出のしかた | 港の拠点を結んで交易を独占しようとした | アメリカ大陸を征服し、広い領土を支配した |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 喜望峰に達したのはディアス(1488 年)、インドに着いたのはヴァスコ=ダ=ガマ(1498 年)
- トルデシリャス条約(1494 年)の境界線の東側がポルトガル。そのため南アメリカでもブラジルだけはポルトガル領になった
- ポルトガルのアジア進出は領土の征服よりも港の拠点づくり。すでにあったアジアの交易網に割り込む形だった
1. 航路の開拓の背景
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
ヨーロッパの人々はアジアの香辛料を強く求めていましたが、それはムスリム商人やイタリア商人の手を経て高価になっていました。直接アジアへ行く航路を開くことが、イベリア半島の国々の目標になります。
ヨーロッパの人々が、新しい航路でアジアと直接交易しようとした大きな理由は?
香辛料などのアジアの産品を、仲介を経ずに安く手に入れたかったから
地中海の東側から入る香辛料は、ムスリム商人やイタリア諸都市の手を経て高価だった。キリスト教を広める目的もあった。
イベリア半島からイスラーム勢力を追い出す、キリスト教徒の国々の長い戦いを何という?
国土回復運動(レコンキスタ)
1479 年にカスティリャとアラゴンが統合してスペイン王国が成立し、1492 年にナスル朝の都グラナダを陥落させて終わった。
ポルトガルでアフリカ西岸の探検を進め、「航海王子」と呼ばれた人物は?
エンリケ
15 世紀前半から航海者を送り出し、アフリカ西岸を南へ進んだ。羅針盤の改良や航海の技術の進歩もこれを支えた。
2. ポルトガルのアジア進出
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
アフリカ南端を回る航路が開かれ、ポルトガルはインド洋に乗り込みました。ポルトガルは要地の港を武力で押さえ、アジアの交易に割り込みます。
1488 年、アフリカ南端の喜望峰に到達したポルトガルの航海者は?
バルトロメウ=ディアス
インドへの航路が開ける見通しがついた。
1498 年、インド西岸のカリカットに到達したポルトガルの航海者は?
ヴァスコ=ダ=ガマ
東アフリカのマリンディでムスリムの水先案内人を雇い、インド洋を渡った。
ポルトガルがアジア進出の拠点として、1510 年にインドで、1511 年に東南アジアで占領した港市は?
ゴア(1510 年)、マラッカ(1511 年)
のちに中国のマカオに居住権を得た(1557 年)。香辛料の産地モルッカ(マルク)諸島にも進出した。
1543 年、日本の種子島にポルトガル人が漂着して伝えたものは?
鉄砲
これ以後、ポルトガル人は日本との交易(南蛮貿易)を行い、中国の生糸と日本の銀を運んで利益を得た。
3. スペインの西回り航路
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
スペインは、大西洋を西へ進めばアジアに着くと考えた航海者を支援しました。その結果たどり着いたのは、ヨーロッパの人々が知らなかったアメリカ大陸でした。
1492 年、スペイン女王イサベルの支援を受けて大西洋を西へ進み、カリブ海のサンサルバドル島に着いた航海者は?
コロンブス
地球球体説を信じ、インドに着いたと考えていた。アメリカ大陸の先住民が「インディオ」と呼ばれたのはそのためである。
1494 年、スペインとポルトガルが、海外の支配圏を分ける境界線を定めた条約は?
トルデシリャス条約
境界線の西側をスペイン、東側をポルトガルの支配圏とした。1500 年にカブラルが到達したブラジルは、境界線の東側にありポルトガル領となった。
新大陸がアジアとは別の大陸であることを示し、その名が「アメリカ」の由来となった人物は?
アメリゴ=ヴェスプッチ
フィレンツェ出身。南アメリカの沿岸を探検した。
スペインの支援で 1519 年に出航し、艦隊として初めて世界周航を果たした航海者は?
マゼラン
マゼラン自身はフィリピンで住民と戦って死に、残った部下が 1522 年にスペインに帰り着いた。
4. 大航海時代の結果
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(2)-ア-(イ)
新しい航路は、ヨーロッパの経済の中心を地中海から大西洋岸へ移し、アメリカ大陸の銀を世界に流しました。
大航海時代の結果、ヨーロッパの商業の中心が地中海から大西洋岸へ移ったことを何という?
商業革命
リスボンやアントウェルペンが栄え、ヴェネツィアなどイタリア諸都市の東方貿易は相対的に地位を下げた。
16 世紀、アメリカ大陸の銀が大量に流れ込み、ヨーロッパの物価が大きく上がったことを何という?
価格革命
固定した地代で暮らす領主は打撃を受け、商工業者が有利になった。
1580 年にポルトガルを併合し、スペインを「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる大国にした国王は?
フェリペ 2 世
ポルトガルとその海外の拠点もあわせ、世界各地に領土を持った。ポルトガルは 1640 年に独立を回復した。