みならいノート

世界史探究 2027年度版

宗教改革

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (イ) の「宗教改革とヨーロッパ諸国の抗争」のうち、宗教改革を扱います。
思考の側では宗教改革の意義を考えることが求められています。カトリック教会の権威が揺らぎ、国ごとに信仰が分かれたことが、主権国家がそろう前提になりました。

0. 何を押さえるか

16 世紀、ドイツのルターが教会を批判したことから、ローマ教皇の権威を認めない新しい宗派(プロテスタント)が生まれました。
カトリック側も自らを立て直し、ヨーロッパは宗派ごとに分かれていきます。

ルター派 カルヴァン派 イギリス国教会 カトリック(対抗宗教改革)
始まり 1517 年、ルター(ドイツ) カルヴァン(ジュネーヴ) 1534 年、ヘンリ 8 世の国王至上法 トリエント公会議、イエズス会
教え・特徴 信仰によってのみ救われる。聖書だけがよりどころ 予定説。勤労と蓄財を肯定 国王が教会の首長。教義はカルヴァン派に近いが、儀式にカトリックの要素を残す 教皇の至上権と従来の教義を再確認
広まった先 北ドイツ、北欧 スイス、フランス、ネーデルラント、スコットランド、イングランド イングランド 南欧、南ドイツ。海外布教

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. ルターの宗教改革

根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)

教皇がサン=ピエトロ大聖堂の建て直しの資金を集めるため、ドイツで贖宥状(免罪符)を売らせたことに、ルターが異議を唱えました。

1517 年、ルターが贖宥状の販売を批判して発表した文書は?

九十五か条の論題

お金で罪の償いが軽くなるという考えを否定した。活版印刷によって、その主張はたちまちドイツ中に広まった。

ルターの考えの中心となる 2 つの主張は?

人は信仰によってのみ救われる(信仰義認)、聖書だけが信仰のよりどころ(聖書主義)

そのため教皇や聖職者の権威を認めず、聖書をドイツ語に訳して誰もが読めるようにした。

1524 年から、ミュンツァーらに率いられた農民が農奴制の廃止などを求めて起こした反乱は?

ドイツ農民戦争

ルターは、はじめ同情したが、反乱が過激になると鎮圧する側の諸侯を支持した。

1555 年のアウクスブルクの和議で認められたことは?

諸侯がカトリックかルター派かを選べること

領民は諸侯の選んだ宗派に従った。個人の信仰の自由でも、カルヴァン派を認めたものでもない。

2. カルヴァンの改革

根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)

スイスではツヴィングリが改革を始め、続いてカルヴァンがジュネーヴで厳しい神権政治を行いました。
その教えは商工業者に受け入れられ、ヨーロッパ各地に広がりました。

救われるかどうかは神によってあらかじめ定められている、というカルヴァンの教えは?

予定説

人は救いを信じて与えられた職業に励むべきだとされ、勤労の結果としての蓄財も認められた。

カルヴァン派が商工業者に広く受け入れられたのはなぜか?

職業に励むことを神の意にかなうとし、その結果の蓄財を肯定したから

カトリックが利益の追求を戒めがちだったのに対し、商工業の営みを正当なものとした。

カルヴァン派が採った、司教を置かず、信徒の中から選ばれた長老が牧師を助けて教会を運営する制度は?

長老主義

ローマ教皇を頂点とするカトリックの階層制と対照的である。

3. イギリス国教会

根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)

イングランドでは、国王が自ら教会の首長となることで、ローマ教皇から離れました。

1534 年、ヘンリ 8 世が国王をイングランドの教会の首長とした法律は?

国王至上法(首長法)

王妃との離婚を教皇に認められなかったことがきっかけ。のちに修道院を解散し、その土地や財産を没収した。

1559 年に統一法を定め、イギリス国教会を確立した国王は?

エリザベス 1 世

礼拝の形式などを統一した。教義はカルヴァン派に近いが、儀式にはカトリックの要素も残した。

4. 対抗宗教改革

根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)

カトリック教会も内部を改め、新しい修道会によって勢力を取り戻そうとしました。

1545 年から開かれ、教皇の至上権とカトリックの教義を再確認した公会議は?

トリエント公会議

禁書目録を定め、宗教裁判を強めて、プロテスタントへの対抗を進めた。

1534 年にイグナティウス=ロヨラらがつくり、海外での布教に力を入れた修道会は?

イエズス会

フランシスコ=ザビエルは 1549 年に日本に来て布教した。中国でもマテオ=リッチらが布教した。

宗教改革の結果、ヨーロッパの国家と教会の関係はどう変わったか?

ローマ教皇の普遍的な権威が崩れ、各国の君主が自国の教会や宗派を左右するようになった

教会の力が国家の枠に収まっていったことは、主権国家が生まれる前提の一つになった。

このノートの 12 問を、暗記カードで復習できます

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答えを隠して出題し、忘れそうなころにもう一度出します。

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