宗教改革
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (イ) の「宗教改革とヨーロッパ諸国の抗争」のうち、宗教改革を扱います。
思考の側では宗教改革の意義を考えることが求められています。カトリック教会の権威が揺らぎ、国ごとに信仰が分かれたことが、主権国家がそろう前提になりました。
0. 何を押さえるか
16 世紀、ドイツのルターが教会を批判したことから、ローマ教皇の権威を認めない新しい宗派(プロテスタント)が生まれました。
カトリック側も自らを立て直し、ヨーロッパは宗派ごとに分かれていきます。
| ルター派 | カルヴァン派 | イギリス国教会 | カトリック(対抗宗教改革) | |
|---|---|---|---|---|
| 始まり | 1517 年、ルター(ドイツ) | カルヴァン(ジュネーヴ) | 1534 年、ヘンリ 8 世の国王至上法 | トリエント公会議、イエズス会 |
| 教え・特徴 | 信仰によってのみ救われる。聖書だけがよりどころ | 予定説。勤労と蓄財を肯定 | 国王が教会の首長。教義はカルヴァン派に近いが、儀式にカトリックの要素を残す | 教皇の至上権と従来の教義を再確認 |
| 広まった先 | 北ドイツ、北欧 | スイス、フランス、ネーデルラント、スコットランド、イングランド | イングランド | 南欧、南ドイツ。海外布教 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- アウクスブルクの和議(1555 年)が認めたのは「諸侯」の宗派選択で、個人の信仰の自由ではない。カルヴァン派も認められなかった
- イギリス国教会の成立は、教義の対立ではなく国王の離婚問題から始まった
- カルヴァン派の呼び名は国ごとに違う。イングランドはピューリタン、フランスはユグノー、ネーデルラントはゴイセン、スコットランドはプレスビテリアン
1. ルターの宗教改革
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
教皇がサン=ピエトロ大聖堂の建て直しの資金を集めるため、ドイツで贖宥状(免罪符)を売らせたことに、ルターが異議を唱えました。
1517 年、ルターが贖宥状の販売を批判して発表した文書は?
九十五か条の論題
お金で罪の償いが軽くなるという考えを否定した。活版印刷によって、その主張はたちまちドイツ中に広まった。
ルターの考えの中心となる 2 つの主張は?
人は信仰によってのみ救われる(信仰義認)、聖書だけが信仰のよりどころ(聖書主義)
そのため教皇や聖職者の権威を認めず、聖書をドイツ語に訳して誰もが読めるようにした。
1524 年から、ミュンツァーらに率いられた農民が農奴制の廃止などを求めて起こした反乱は?
ドイツ農民戦争
ルターは、はじめ同情したが、反乱が過激になると鎮圧する側の諸侯を支持した。
1555 年のアウクスブルクの和議で認められたことは?
諸侯がカトリックかルター派かを選べること
領民は諸侯の選んだ宗派に従った。個人の信仰の自由でも、カルヴァン派を認めたものでもない。
2. カルヴァンの改革
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
スイスではツヴィングリが改革を始め、続いてカルヴァンがジュネーヴで厳しい神権政治を行いました。
その教えは商工業者に受け入れられ、ヨーロッパ各地に広がりました。
救われるかどうかは神によってあらかじめ定められている、というカルヴァンの教えは?
予定説
人は救いを信じて与えられた職業に励むべきだとされ、勤労の結果としての蓄財も認められた。
カルヴァン派が商工業者に広く受け入れられたのはなぜか?
職業に励むことを神の意にかなうとし、その結果の蓄財を肯定したから
カトリックが利益の追求を戒めがちだったのに対し、商工業の営みを正当なものとした。
カルヴァン派が採った、司教を置かず、信徒の中から選ばれた長老が牧師を助けて教会を運営する制度は?
長老主義
ローマ教皇を頂点とするカトリックの階層制と対照的である。
3. イギリス国教会
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
イングランドでは、国王が自ら教会の首長となることで、ローマ教皇から離れました。
1534 年、ヘンリ 8 世が国王をイングランドの教会の首長とした法律は?
国王至上法(首長法)
王妃との離婚を教皇に認められなかったことがきっかけ。のちに修道院を解散し、その土地や財産を没収した。
1559 年に統一法を定め、イギリス国教会を確立した国王は?
エリザベス 1 世
礼拝の形式などを統一した。教義はカルヴァン派に近いが、儀式にはカトリックの要素も残した。
4. 対抗宗教改革
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
カトリック教会も内部を改め、新しい修道会によって勢力を取り戻そうとしました。
1545 年から開かれ、教皇の至上権とカトリックの教義を再確認した公会議は?
トリエント公会議
禁書目録を定め、宗教裁判を強めて、プロテスタントへの対抗を進めた。
1534 年にイグナティウス=ロヨラらがつくり、海外での布教に力を入れた修道会は?
イエズス会
フランシスコ=ザビエルは 1549 年に日本に来て布教した。中国でもマテオ=リッチらが布教した。
宗教改革の結果、ヨーロッパの国家と教会の関係はどう変わったか?
ローマ教皇の普遍的な権威が崩れ、各国の君主が自国の教会や宗派を左右するようになった
教会の力が国家の枠に収まっていったことは、主権国家が生まれる前提の一つになった。