主権国家体制とヨーロッパ諸国の抗争
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (イ) の「宗教改革とヨーロッパ諸国の抗争」などを基に、主権国家体制の形成を構造的に理解する事項です。
思考の側では主権国家の特徴と経済活動との関連を考えることが求められています。
0. 何を押さえるか
16〜17 世紀のヨーロッパでは、宗教の対立と王家どうしの争いが重なって、戦争が続きました。
その中から、互いに主権を認め合う国家が並び立ち、勢力の釣り合い(勢力均衡)で秩序を保つしくみ、つまり主権国家体制ができあがります。
| 戦争・反乱 | 期間 | 主な対立 | 結果・条約 |
|---|---|---|---|
| イタリア戦争 | 1494〜1559 | フランス(ヴァロワ家)とハプスブルク家 | カトー=カンブレジ条約 |
| オランダ独立戦争 | 1568〜1609(休戦) | ネーデルラントの新教徒とスペイン | 1581 年独立宣言、1648 年に国際的に承認 |
| 三十年戦争 | 1618〜1648 | 神聖ローマ皇帝と新教派諸侯、それを支える諸外国 | ウェストファリア条約 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 三十年戦争で、カトリックのフランスが新教側について参戦した。宗教戦争が、国家の利害をめぐる争いに変わった
- オランダの独立を宣言したのは北部 7 州。南部 10 州(今のベルギーにあたる地域)はスペインの支配下に残った
- オランダとスイスの独立が国際的に認められたのはウェストファリア条約(1648 年)
1. 主権国家とイタリア戦争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
イタリアをめぐるフランスとハプスブルク家の争いを通じて、各国は国境を定め、軍隊と官僚を整えて、互いに対抗するようになりました。
こうしたヨーロッパ諸国の抗争の中で、主権国家が形づくられていきます。
主権国家とはどのような国家か?
国境で区切られた領域を持ち、国内では最高の、外に対しては独立した権力(主権)を持つ国家
他国から内政に干渉されないことを互いに認め合う。教皇や皇帝のような、国を越える権威には従わない。
1494 年、フランス王シャルル 8 世のイタリア侵入で始まった、フランスとハプスブルク家の戦争は?
イタリア戦争
1559 年のカトー=カンブレジ条約で終わった。この戦争の中で、各国は外交使節を常駐させ、勢力均衡を図るようになった。
イタリア戦争でフランソワ 1 世と争った、スペイン王と神聖ローマ皇帝を兼ねた人物は?
カール 5 世(スペイン王としてはカルロス 1 世)
ハプスブルク家の広大な領土を受け継ぎ、ルターの宗教改革とも向き合った。
主権国家体制で、特定の国が強くなりすぎないよう、国々が同盟を組み替えて力の釣り合いを保つ考え方は?
勢力均衡
このため、宗派が同じでも利害が合わなければ敵となり、異なっても手を組むことがあった。
2. オランダの独立
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
スペイン領のネーデルラントは毛織物業や商業が栄え、カルヴァン派が広まっていました。
スペインのカトリック強制と重税に反発して、独立戦争が始まります。
ネーデルラントの独立戦争のきっかけとなった、スペイン王フェリペ 2 世の政策は?
カトリックの強制と重い課税
新教徒(ゴイセン)の多いネーデルラントで反発が広がり、1568 年に反乱が始まった。
1579 年、ネーデルラントの北部 7 州が結んだ同盟と、その指導者は?
ユトレヒト同盟、オラニエ公ウィレム
1581 年にネーデルラント連邦共和国(オランダ)として独立を宣言した。南部 10 州は途中で離れ、スペインのもとに残った。
独立後のオランダで、17 世紀に世界の商業・金融の中心となった都市は?
アムステルダム
オランダは東インド会社を設け、アジア貿易でも大きな力を持った。
3. 三十年戦争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
神聖ローマ帝国の中の新旧両派の争いに、周りの国々が次々と加わり、ドイツを舞台に長い戦争が続きました。
1618 年、三十年戦争のきっかけとなった反乱が起きた地域は?
ベーメン(ボヘミア)
ハプスブルク家のカトリック強制に、ベーメンの新教徒が反抗した。
三十年戦争で、新教側に立って参戦したスウェーデンの王は?
グスタフ=アドルフ
皇帝側の傭兵隊長ヴァレンシュタインの軍と戦った。デンマークも新教側で介入していた。
三十年戦争が「宗教戦争から国家どうしの争いに変わった」と言われるのはなぜか?
カトリックのフランスが、ハプスブルク家に対抗するため新教側について参戦したから
宰相リシュリューのもとで、宗派よりもハプスブルク家を抑えるという国の利害が優先された。
4. ウェストファリア条約
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
三十年戦争を終わらせた条約は、多くの国が集まった国際会議で結ばれ、主権国家体制が確立する画期とされます。
1648 年のウェストファリア条約で、独立が国際的に認められた 2 つの国は?
オランダとスイス
同時に、カルヴァン派もルター派と並んで認められた。
ウェストファリア条約で、神聖ローマ帝国はどうなったか?
帝国内の諸侯(領邦)がほぼ完全な主権を認められ、帝国は形だけのものになった
このためドイツの統一は大きく遅れた。条約は「神聖ローマ帝国の死亡証書」とも呼ばれる。
ウェストファリア条約で、フランスとスウェーデンが得た領土は?
フランスはアルザスの一部、スウェーデンは西ポンメルン
フランスはロレーヌのメス・トゥール・ヴェルダンの 3 司教領の領有も確認された。フランスはハプスブルク家を抑えて大陸での地位を高め、スウェーデンはバルト海の強国となった。