大西洋三角貿易
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」C (3) ア (イ) の「大西洋三角貿易の展開」などを基に、地球規模での交易の拡大を理解する事項です。
思考の側では大西洋両岸諸地域の経済的連関の特徴を考えることが求められています。
0. 何を押さえるか
17〜18 世紀、ヨーロッパ・西アフリカ・アメリカ大陸(カリブ海域)を結ぶ大西洋三角貿易が盛んになりました。
アフリカから連れ去られた奴隷の労働で砂糖などがつくられ、その利益がヨーロッパに蓄えられました。この交易と植民地をめぐって、イギリスとフランスが激しく争います。
| 航路 | 運ばれたもの |
|---|---|
| ヨーロッパ → 西アフリカ | 武器、綿織物、雑貨 |
| 西アフリカ → アメリカ大陸・西インド諸島 | 奴隷 |
| アメリカ大陸・西インド諸島 → ヨーロッパ | 砂糖、タバコ、綿花、コーヒー |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 奴隷が運ばれたのはアフリカからアメリカ大陸へ。ヨーロッパへ運ばれたのは奴隷ではなく、奴隷がつくった砂糖などの産物
- 英仏の植民地抗争は、ヨーロッパの戦争と北アメリカ・インドの戦いが同時に進んだ。七年戦争とフレンチ=インディアン戦争、プラッシーの戦いは同じ時期
- 1763 年のパリ条約で、フランスは北アメリカの植民地をほぼすべて失った
1. 奴隷貿易とプランテーション
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
アメリカ大陸では、先住民の人口が激減したため、アフリカから連れてきた人々が奴隷として働かされました。
運ばれた人数は推計によって幅がありますが、1000 万人を超えるとされます。
大西洋三角貿易で、ヨーロッパから西アフリカへ運ばれたものと、西アフリカからアメリカ大陸へ運ばれたものは?
ヨーロッパ → 西アフリカは武器や綿織物など、西アフリカ → アメリカ大陸は奴隷
アメリカ大陸からは、奴隷がつくった砂糖などがヨーロッパに運ばれた。
西インド諸島やブラジルで、奴隷を使って大規模に栽培された作物の代表は?
サトウキビ(砂糖)
輸出向けの作物を大量の労働力で一斉につくる大農園を、プランテーションという。
アメリカ大陸で、アフリカから奴隷が連れてこられるようになった背景は?
先住民がヨーロッパ人の持ち込んだ疫病や過酷な労働で激減し、労働力が足りなくなったから
プランテーションの拡大が、さらに多くの奴隷の需要を生んだ。
スペインが他国の商人に与えた、スペイン領アメリカへ奴隷を供給する権利は?
アシエント(奴隷供給契約)
1713 年のユトレヒト条約で、イギリスがこの権利を得た。
2. 大西洋両岸への影響
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
三角貿易は、ヨーロッパには富と新しい生活の習慣を、アフリカには大きな損失をもたらしました。
奴隷貿易は、西アフリカの社会にどのような影響を与えたか?
働き盛りの人々が大量に連れ去られ、社会の発展が妨げられた
奴隷を得るための戦争も起きた。一方で、奴隷を売って栄えた王国(ダホメ王国など)もあった。
奴隷貿易の拠点として栄えたイギリスの港町は?
リヴァプール(ほかにブリストル)
三角貿易で蓄えられた富が、のちのイギリスの産業の発展を支える資本の一つになった。
17〜18 世紀、砂糖や茶・コーヒーが広まって、ヨーロッパの人々の日常生活が変わったことを何という?
生活革命
紅茶に砂糖を入れて飲む習慣が広まり、ロンドンなどではコーヒーハウスが人々の集まる場となった。
3. オランダ・イギリス・フランスの進出
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
17 世紀前半に海上貿易で優位に立ったのはオランダでしたが、17 世紀後半からはイギリスとフランスが主役になります。
1623 年、モルッカ諸島でオランダがイギリスの商館員を殺害し、イギリスが東南アジアから手を引くきっかけとなった事件は?
アンボイナ事件
その後イギリスはインドの経営に力を注いだ。オランダはジャワのバタヴィアを拠点に香辛料貿易を握った。
1664 年にイギリスがオランダから奪い、ニューヨークと改めた北アメリカの植民地の町は?
ニューアムステルダム
英蘭戦争を経てオランダの力は衰え、イギリスとフランスの争いの時代に入った。
4. 英仏の植民地抗争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-C-(3)-ア-(イ)
イギリスとフランスは、ヨーロッパで戦争をするたびに北アメリカとインドでも戦いました。18 世紀半ば、イギリスの勝利が決まります。
1713 年のユトレヒト条約で、イギリスがフランスから得た北アメリカの地域は?
ニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾地方
スペイン継承戦争の講和条約で、イギリスはスペインからジブラルタルとミノルカ島も得た。
1757 年、クライヴの率いるイギリス東インド会社の軍が、フランスとベンガル太守の連合軍を破った戦いは?
プラッシーの戦い
これを機にイギリスはインドでフランスに対して優位を決定づけ、ベンガルの支配を足がかりにインドの植民地化を進めた。
七年戦争と同じ時期に、北アメリカでイギリスとフランスが争った戦争は?
フレンチ=インディアン戦争
フランスが先住民と結んで戦ったことからこう呼ばれる。イギリスが勝利した。
1763 年のパリ条約で、フランスが失った北アメリカの領土は?
カナダとミシシッピ川以東のルイジアナをイギリスに、ミシシッピ川以西のルイジアナをスペインに譲った
フランスは北アメリカの植民地をほぼすべて失い、イギリスの優位が確立した。