国際協調の崩壊と大戦への道
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (4) ア (ア) の「世界恐慌とファシズムの動向,ヴェルサイユ・ワシントン体制の動揺などを基に,国際関係の緊張と対立を構造的に理解すること」。東アジアではワシントン体制が、ヨーロッパではヴェルサイユ体制が崩れ、第二次世界大戦へ向かいます。
0. 何を押さえるか
1930 年代、国際関係の緊張は東アジアとヨーロッパの両方で高まりました。東では日本が中国への侵略を広げ、西ではドイツが領土の拡大を進め、英仏の宥和政策はそれを止められませんでした。
| 年 | 東アジア | ヨーロッパ |
|---|---|---|
| 1931 | 満州事変 | |
| 1933 | 日本が国際連盟を脱退 | ドイツが国際連盟を脱退 |
| 1936 | 西安事件 | スペイン内戦が始まる |
| 1937 | 盧溝橋事件から日中戦争へ | 日独伊防共協定 |
| 1938 | オーストリア併合・ミュンヘン会談 | |
| 1939 | 独ソ不可侵条約・ドイツのポーランド侵攻 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 満州事変(1931 年)と日中戦争(1937 年)は別の出来事。前者は柳条湖事件、後者は盧溝橋事件から始まった
- ミュンヘン会談には、領土を割譲させられたチェコスロヴァキアもソ連も招かれなかった。これがソ連の英仏への不信を強め、独ソ不可侵条約につながった
- スペイン内戦で英仏は不干渉政策をとった。ドイツ・イタリアは反乱軍を、ソ連は政府側を支援した
1. 満州事変と日中戦争
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(4)-ア-(ア)
世界恐慌で経済が悪化した日本では、中国東北地方を勢力下に置こうとする動きが強まりました。日本の軍事行動は、中国の主権と領土の保全を約束した九カ国条約に反するもので、ワシントン体制は崩れていきます。
1931 年、関東軍が柳条湖で鉄道を爆破し、それを口実に始めた軍事行動は?
満州事変
関東軍は中国東北地方の主要部を占領し、翌 1932 年に清の最後の皇帝溥儀を執政として満州国を建てた。
中国の訴えを受けて国際連盟が派遣し、満州事変を調べた調査団は?
リットン調査団
その報告にもとづき、連盟は満州国を認めない勧告を採択した。日本はこれに反発し、1933 年に連盟からの脱退を通告した。
1936 年、張学良が蔣介石を監禁し、共産党との内戦をやめて抗日に向かうよう求めた事件は?
西安事件
共産党は長征ののち延安を拠点としており、1935 年の八・一宣言で内戦の停止と抗日の統一を呼びかけていた。
1937 年、北京郊外で日中両軍が衝突し、日中戦争のきっかけとなった事件は?
盧溝橋事件
これを機に国民党と共産党は第 2 次国共合作を結び、抗日民族統一戦線をつくった。
日中戦争で、国民政府が南京を失ったあと拠点を移し、抗戦を続けた都市は?
重慶
米英などは物資を運ぶ援蔣ルートで国民政府を支えた。日本は 1940 年に汪兆銘を首班とする政権を南京に立てた。
2. 人民戦線とスペイン内戦
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(4)-ア-(ア)
ファシズムの広がりに対し、共産党と社会党、自由主義者などが手を結ぶ人民戦線がつくられました。スペインでは、成立した人民戦線政府に対して軍部が反乱を起こします。
1935 年、コミンテルンが第 7 回大会で採用した、反ファシズムのためにほかの勢力と広く協力する方針は?
人民戦線戦術
それまで社会民主主義の政党を敵としていた方針を改めた。フランスでは 1936 年にブルムを首相とする人民戦線内閣が成立した。
1936 年、スペインの人民戦線政府に対して反乱を起こし、内戦に勝って独裁を始めた軍人は?
フランコ
内戦は 1939 年に反乱軍の勝利で終わった。
スペイン内戦で、ドイツ・イタリアとソ連、英仏はそれぞれどちらを支援した(しなかった)か?
独伊は反乱軍を支援、ソ連は政府側を支援、英仏は不干渉政策
各国の知識人や労働者は国際義勇軍として政府側で戦った。ドイツ空軍によるゲルニカの爆撃は、ピカソの絵画「ゲルニカ」に描かれた。
3. 宥和政策とミュンヘン会談
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(4)-ア-(ア)
ドイツはオーストリアを併合し、さらにチェコスロヴァキアに領土を求めました。イギリスとフランスは戦争を避けるため、ドイツの要求を認める宥和政策をとりました。
1938 年 3 月、ドイツが併合した国は?
オーストリア
ドイツ人の民族の統一を口実とした。ヴェルサイユ条約などは、ドイツとオーストリアの合併を禁じていた。
1938 年のミュンヘン会談で、ドイツへの割譲が認められたチェコスロヴァキアの地域は?
ズデーテン地方
英のネヴィル=チェンバレン、仏のダラディエ、ヒトラー、ムッソリーニが出席した。当事国のチェコスロヴァキアは招かれなかった。
英仏がミュンヘン会談などでとった、ドイツの要求を受け入れて戦争を避けようとする政策を何という?
宥和政策
ドイツの膨張を東のソ連に向けさせたいという思惑もあったとされる。結果として、ドイツの拡大を止められなかった。
4. 独ソ不可侵条約と大戦の始まり
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(4)-ア-(ア)
ドイツは 1939 年にチェコスロヴァキアを解体し、次にポーランドに領土を求めました。英仏に不信を抱いていたソ連は、ドイツと手を結びます。
1939 年 8 月、ドイツとソ連が結び、世界に衝撃を与えた条約は?
独ソ不可侵条約
反共産主義を掲げるナチス=ドイツと、ソ連とが手を結んだ。秘密の取り決めで、ポーランドなど東ヨーロッパでの両国の勢力範囲を定めていた。
第二次世界大戦の始まりとされる、1939 年 9 月 1 日のドイツの行動と、それに対する英仏の対応は?
ドイツのポーランド侵攻、英仏がドイツに宣戦
ソ連も東からポーランドに侵攻し、ポーランドは独ソに分割された。