中華文明の成立と殷・周
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (2) ア (ア) の「オリエント文明,インダス文明,中華文明などを基に,古代文明の歴史的特質を理解すること」。
このノートでは、そのうち中華文明の成立から、殷・周、春秋・戦国時代と諸子百家までを扱います。
0. 何を押さえるか
中国では、黄河流域と長江流域でそれぞれ農耕文化が発達しました。やがて黄河中流域に殷が生まれ、周がそれにかわり、
周の力が衰えると春秋・戦国の分裂の時代に入ります。この激しい争いのなかで、社会を立て直す道を説く諸子百家が現れました。
| 殷 | 周(西周) | 春秋・戦国 | |
|---|---|---|---|
| 時期 | 前 16 世紀ごろ〜前 11 世紀ごろ | 前 11 世紀ごろ〜前 770 年 | 前 770 年〜前 221 年 |
| 都 | 殷墟(後期の都) | 鎬京 | 周は洛邑に移る |
| 政治 | 神意を占う神権政治 | 封建制(王が諸侯に封土) | 諸侯が自立して争う |
| 特徴 | 甲骨文字、青銅器 | 宗法による一族の結びつき | 鉄製農具・牛耕、青銅貨幣、諸子百家 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 中国の封建は血縁(一族)を土台にした支配。主君と家臣の個人的な契約によるヨーロッパの封建制とは違う
- 春秋時代の有力諸侯(覇者)は周王を立てた(尊王攘夷)が、戦国時代の諸侯は自ら王を名のった
- 孟子は性善説、荀子は性悪説。どちらも儒家で、荀子の弟子から法家の韓非が出た
1. 黄河と長江の農耕文化
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(2)-ア-(ア)
黄河流域ではアワ・キビなどの畑作が、長江流域では稲作が早くから行われました。
中華文明は黄河流域だけから生まれたのではなく、各地の文化が交わって形づくられたと考えられています。
黄河中流域の新石器文化のうち、赤地に文様を描いた彩文土器(彩陶)で知られるものは?
仰韶文化
のちに黒くて薄い黒陶で知られる竜山文化が現れた。
長江下流域で、稲作が早くから行われていたことを示す遺跡は?
河姆渡遺跡
黄河流域の畑作に対して、長江流域は稲作。中国の南と北とで、農耕の土台が違っていた。
2. 殷と甲骨文字
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(2)-ア-(ア)
前 16 世紀ごろ、黄河中流域に殷が成立しました。確かな遺跡と文字資料によって存在が確かめられた、中国で最も古い王朝です。
殷の王が政治を行った方法の特徴は?
亀の甲や牛の骨を焼いて神意を占い、その結果にもとづいて政治を行う神権政治
占いの内容を甲骨に刻んだ文字が甲骨文字である。
殷で占いの記録に使われ、漢字のもとになった文字は?
甲骨文字
後期の都の跡である殷墟(河南省安陽市)から大量に見つかった。殷では精巧な青銅器も祭りに用いられた。
3. 周の封建
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(2)-ア-(ア)
前 11 世紀ごろ、周が殷を滅ぼし、鎬京を都としました。周は一族や功臣に土地を与えて各地を治めさせる封建のしくみをつくりました。
周の封建とは、どのようなしくみか?
王が一族や功臣を諸侯とし、封土を与えて世襲させるかわりに、貢納と軍役の義務を負わせたしくみ
王や諸侯は、さらに卿・大夫・士という家臣にも土地を与えた。
周の封建を支えた、父系の親族集団の決まりを何という?
宗法
本家と分家の秩序を定め、祖先の祭りによって一族を結びつけた。中国の封建が血縁を土台としていたことを示す。
周の王が、その地位の正しさを説明するのに用いた考え方は?
天命(徳のある者が天から命を受けて天子として治める)
徳を失った王朝は天命を失うとされ、王朝の交替を正当化する考え方になった。
4. 春秋・戦国時代
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(2)-ア-(ア)
前 770 年、周は異民族に攻められて都を東の洛邑に移しました。これ以後、周王の力は衰え、諸侯が争う時代になります。
前 403 年を境に、前半を春秋時代、後半を戦国時代と呼びます。
春秋時代に有力な諸侯(覇者)が掲げた、周王を尊び異民族をしりぞけるという考えは?
尊王攘夷
斉の桓公や晋の文公が代表的な覇者。まだ周王の権威は形のうえで保たれていた。
戦国時代に互いに争った 7 つの強国をまとめて何という?
戦国の七雄(秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙)
最終的に西方の秦が他の 6 国を滅ぼし、前 221 年に中国を統一した。
春秋・戦国時代に農業の生産力を大きく高めたものは?
鉄製農具と牛に犂を引かせる牛耕
生産が増えて商業も発達し、刀銭・布銭などの青銅貨幣が各地で使われた。
5. 諸子百家
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(2)-ア-(ア)
諸侯が富国強兵のために人材を求めたことから、さまざまな思想家が現れ、国の治め方や人の生き方を説きました。
儒家の祖・孔子が説いた、人が守るべき中心的な徳は?
仁(家族の親愛を基本とする思いやり)と、それを形に表した礼
孔子の言行は弟子たちによって『論語』にまとめられた。
孟子と荀子は、人間の本性についてそれぞれどう考えたか?
孟子は性善説、荀子は性悪説
孟子は徳による王道政治を説き、荀子は礼によって人を正すことを重んじた。
法家が主張した国の治め方と、それを採用して強国となった国は?
君主が厳しい法と刑罰によって民を治める。秦(商鞅の改革、のちに韓非が理論を大成)
秦の統一を支えた考え方で、徳による政治を説く儒家と対立した。
墨子(墨家)と老子・荘子(道家)がそれぞれ説いたことは?
墨家は兼愛(差別のない愛)と非攻(侵略戦争の否定)、道家は無為自然
墨家は儒家の仁を身内びいきと批判した。道家は人為を捨て自然に従うことを説いた。