ロシア革命とソ連の成立
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (3) ア (イ) の「第一次世界大戦とロシア革命」に当たります。
大戦のさなかに帝政が倒れ、世界で初めての社会主義政権が生まれ、内戦と干渉戦争を経てソヴィエト社会主義共和国連邦が成立するまでを押さえます。
0. 何を押さえるか
1917 年のロシア革命は、2 段階で進みました。「二月」「十月」はロシアで当時使われていた暦(ロシア暦)による呼び名で、表の( )内は西暦の月です。
| 二月革命(1917 年 3 月) | 十月革命(1917 年 11 月) | |
|---|---|---|
| きっかけ | 首都ペトログラードの食料不足と労働者・兵士の蜂起 | 臨時政府が戦争を続け、民衆の支持を失う |
| 倒されたもの | 皇帝ニコライ 2 世(ロマノフ朝) | 臨時政府 |
| 生まれた権力 | 臨時政府とソヴィエト(評議会)の二重権力 | レーニンの率いるボリシェヴィキのソヴィエト政権 |
| 戦争 | 継続 | 「平和に関する布告」を出し、翌年ドイツと単独講和 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 二月革命で倒れたのは帝政、十月革命で倒れたのは臨時政府。二月革命のあとも戦争は続いた
- 戦時共産主義は内戦期の強制的な統制、新経済政策(ネップ)は 1921 年からの市場の部分的な復活
- ソ連の成立は 1922 年。十月革命(1917 年)と同じ年ではない
1. 二月革命と十月革命
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
大戦による物資不足と敗北続きで、ロシアの民衆の不満は限界に達していました。
1905 年の第 1 次ロシア革命で生まれた労働者の評議会(ソヴィエト)が、1917 年に再び姿を現します。
1905 年、首都ペテルブルクで皇帝に請願する民衆のデモに軍が発砲し、第 1 次ロシア革命のきっかけとなった事件は?
血の日曜日事件
日露戦争のさなかだった。ニコライ 2 世は十月宣言で国会(ドゥーマ)の開設を約束したが、のちに専制を強めた。
二月革命で退位し、ロマノフ朝を終わらせた皇帝は?
ニコライ 2 世
帝政の崩壊後、議会の自由主義者を中心に臨時政府がつくられた。
二月革命のあと、臨時政府と並んで権力を持った、労働者・兵士の代表による評議会を何という?
ソヴィエト
臨時政府とソヴィエトが並び立つ「二重権力」の状態が続いた。
亡命先から帰国したレーニンが、「すべての権力をソヴィエトへ」と訴えた方針を何という?
四月テーゼ
戦争を続ける臨時政府への協力を拒み、ボリシェヴィキが権力を握る道を示した。
十月革命で武装蜂起し、臨時政府を倒した党は? 臨時政府の中心にいたのは誰か?
ボリシェヴィキ(レーニンが指導)。臨時政府の首相はケレンスキー
同じ社会民主労働党から分かれたメンシェヴィキは、ブルジョワ革命を経る段階的な変革を唱え、ボリシェヴィキと対立した。
十月革命の直後にソヴィエト政権が出した「平和に関する布告」の内容は?
無併合・無償金・民族自決にもとづく即時講和の呼びかけ
同時に出された「土地に関する布告」は、地主の土地を無償で没収することを定めた。
1918 年 1 月、選挙で多数を得られなかったボリシェヴィキが武力で解散させたものは?
憲法制定議会
第一党は農民に支持された社会革命党(エスエル)だった。以後、ボリシェヴィキ(共産党と改称)の一党独裁が進む。
2. 干渉戦争と戦時共産主義
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
社会主義政権の誕生と単独講和に対し、旧体制側の反革命軍と、それを支援する外国軍が攻め込みました。政府は首都をモスクワに移し、厳しい統制で内戦を戦い抜きます。
ソヴィエト政権を倒すため、イギリス・フランス・アメリカ・日本などが軍を送った戦争を何という?
対ソ干渉戦争
日本はチェコスロヴァキア軍団の救出を名目にシベリア出兵を行い、他国が引き揚げたあとも 1922 年まで兵をとどめた。
内戦と干渉戦争の時期に行われた、穀物の強制徴発や企業の国有化などの政策を何という?
戦時共産主義
赤軍(トロツキーが組織)とチェカ(秘密警察)で反革命を抑えたが、農民の反発を招き生産は落ち込んだ。
1919 年、世界の革命運動を指導するためにモスクワで結成された組織は?
コミンテルン(第 3 インターナショナル)
各国の共産党を支部として組織した。
3. 新経済政策とソ連の成立
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
内戦がおさまると、疲れ切った経済を立て直すため、政府は統制を緩めました。そのうえで、各地のソヴィエト共和国をまとめた連邦国家がつくられます。
1921 年に始まった新経済政策(ネップ)で改められたことは?
穀物の強制徴発をやめて現物の税にし、農民が余った穀物を売ることや中小企業の私的な経営を認めた
市場経済を一部復活させて生産を回復させた。
1922 年、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの各共和国で結成された国家は?
ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)
同じ 1922 年、ドイツがラパロ条約でソヴィエト政権を承認した。イギリスや日本も 1920 年代半ばまでに承認している。
レーニンの死後、スターリンがトロツキーの世界革命論に対して唱えた考えは?
一国社会主義論
ソ連一国でも社会主義の建設は可能だとする考えで、トロツキーは党の実権争いに敗れて追放された。