第一次世界大戦
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (3) ア (イ) の「第一次世界大戦とロシア革命」と「第一次世界大戦の展開と諸地域の変容を構造的に理解すること」に当たります。
帝国主義列強の対立が 2 つの陣営にまとまり、バルカン半島の民族問題から大戦が始まって、国民すべてを巻き込む総力戦になるまでを押さえます。
0. 何を押さえるか
大戦は、ドイツ中心の同盟と、イギリス・フランス・ロシアの協商との戦いでした。ただし開戦後に陣営を移った国があります。
| 同盟国側 | 協商国(連合国)側 | |
|---|---|---|
| 開戦前のまとまり | 三国同盟(1882): ドイツ・オーストリア・イタリア | 三国協商: 露仏同盟(1891〜94)・英仏協商(1904)・英露協商(1907) |
| 主な参戦国 | ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア | イギリス、フランス、ロシア、セルビア、日本、イタリア(1915)、アメリカ(1917) |
| バルカンでの立場 | パン=ゲルマン主義 | パン=スラヴ主義(ロシア・セルビア) |
| 終わり方 | 1918 年 11 月、ドイツ革命ののち休戦 | ロシアは 1918 年 3 月に単独講和して離脱 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- イタリアは三国同盟の一員だったが、協商国側で参戦した(1915 年)。「未回収のイタリア」をめぐりオーストリアと対立していた
- 大戦のきっかけはサライェヴォ事件(オーストリアの帝位継承者の暗殺)、アメリカ参戦のきっかけはドイツの無制限潜水艦作戦
- ロシアは大戦の途中で革命が起きて離脱し、アメリカは途中から加わった。この入れ替わりが戦後の国際秩序を左右する
1. 二つの陣営とバルカン問題
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
ビスマルクの辞職後、ドイツの世界政策に対抗して、イギリスは「光栄ある孤立」を捨ててフランス・ロシアと結びました。
対立の焦点は、オスマン帝国の衰退で民族の独立運動と列強の思惑が入り組んだバルカン半島でした。
英仏協商と英露協商が結ばれ、イギリス・フランス・ロシアの三国協商が成立したのは何年か?
1907 年(英露協商の成立)
これでドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、三国協商が向き合う構図ができた。
民族紛争と列強の対立が重なり、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域は?
バルカン半島
ドイツ・オーストリアのパン=ゲルマン主義と、ロシア・セルビアのパン=スラヴ主義がぶつかった。
1912〜13 年の 2 度のバルカン戦争で、第 2 次に敗れて領土を失い、ドイツ・オーストリアに近づいた国は?
ブルガリア
第 1 次でバルカン同盟(セルビア・ブルガリアなど)がオスマン帝国を破り、第 2 次は獲得した領土の分配をめぐって同盟国どうしが争った。
1914 年 6 月、大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件とはどんな事件か?
オーストリアの帝位継承者夫妻が、セルビア人の青年に暗殺された事件
オーストリアがセルビアに宣戦すると、同盟・協商の関係に従って各国が次々に参戦した。
2. 戦争の展開
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
短期で終わると予想された戦争は、西部戦線で塹壕を挟んだ持久戦となり、新兵器が大量の死傷者を生みました。
戦場はヨーロッパの外にも広がりました。
1914 年 9 月、フランスに侵攻したドイツ軍の進撃を止め、西部戦線を膠着させた戦いは?
マルヌの戦い
以後、西部戦線は塹壕戦となった。東部戦線ではドイツがタンネンベルクの戦いでロシア軍を破っている。
第一次世界大戦で新たに使われた兵器を挙げよ。
戦車・飛行機・毒ガス・潜水艦(機関銃も大量に使われた)
工業力がそのまま戦力になり、ヴェルダンやソンムの戦いでは膨大な死傷者が出た。
日本はどんな理由で参戦し、どこを占領したか?
日英同盟を理由に参戦し、中国の山東半島(青島)と赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領した
1915 年には中国の袁世凱政府に二十一か条の要求を突きつけ、その大部分を認めさせた。
3. 総力戦
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
大戦は、兵士だけでなく国民の生活・産業・植民地まで動員する総力戦となりました。これが戦後の社会を大きく変えます。
各国の社会主義政党が、大戦の開始とともに自国の戦争を支持したことで崩れた国際組織は?
第 2 インターナショナル
労働者の国際連帯より国家への協力が選ばれ、各国で挙国一致体制がつくられた。
総力戦のもとで女性が工場などで働いたことは、戦後の政治にどんな変化をもたらしたか?
女性参政権が広がった
イギリス(1918 年、年齢の制限つき)、ドイツ(1919 年)、アメリカ(1920 年)などで認められた。
イギリスが、大戦への協力と引きかえにインドに約束したことは?
戦後の自治
インドからは多くの兵士が戦場に送られた。しかし約束は守られず、戦後の反英運動につながる。
4. アメリカの参戦と大戦の終結
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
1917 年はロシアで革命が起き、アメリカが参戦した転換の年です。ロシア革命で東部戦線が消えた一方、アメリカの参戦で協商国側が優位に立ちました。
1917 年 4 月にアメリカが参戦した直接のきっかけは?
ドイツの無制限潜水艦作戦
中立国の船も警告なしに攻撃する作戦で、アメリカの船や国民に被害が出ていた。大統領はウィルソン。
1918 年 3 月、ソヴィエト政権がドイツと単独で結んだ講和条約は?
ブレスト=リトフスク条約
ロシアは大きな領土を失って戦争から離脱した。ドイツは西部戦線に兵力を集めたが、突破できなかった。
1918 年 11 月、ドイツ革命のきっかけとなった出来事と、その結果は?
キール軍港の水兵の反乱。皇帝ヴィルヘルム 2 世が亡命して共和国が成立し、休戦協定が結ばれた
同じころオーストリア=ハンガリーも崩れ、諸民族が独立した。