ヴェルサイユ体制とワシントン体制
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (3) ア (イ) の「ヴェルサイユ・ワシントン体制の形成」に当たります。
第一次世界大戦のあと、ヨーロッパではヴェルサイユ体制、アジア・太平洋ではワシントン体制という国際秩序がつくられました。その中身と、1920 年代の国際協調の動きを押さえます。
0. 何を押さえるか
2 つの体制は、扱う地域と中心になった国が違います。
| ヴェルサイユ体制 | ワシントン体制 | |
|---|---|---|
| 地域 | ヨーロッパ | アジア・太平洋 |
| 会議 | パリ講和会議(1919) | ワシントン会議(1921〜22) |
| 主な取り決め | ヴェルサイユ条約など、国際連盟の設立 | 四か国条約・九か国条約・海軍軍備制限条約 |
| ねらい | 敗戦国ドイツの弱体化と東欧の新しい国境 | 日本の進出の抑制と列強の軍備・勢力の調整 |
| 残した火種 | ドイツの不満、民族自決がアジア・アフリカに適用されなかったこと | 中国の主権回復は不十分なまま |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 十四か条を唱えたのはアメリカのウィルソンだが、アメリカは上院の反対で国際連盟に加わらなかった
- 民族自決が認められたのは主に東ヨーロッパ。敗戦国の植民地は独立ではなく委任統治とされた
- 日英同盟を終わらせたのは四か国条約、中国の主権尊重・門戸開放を定めたのは九か国条約
1. 十四か条とパリ講和会議
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
大戦中の 1918 年 1 月、アメリカのウィルソン大統領は戦後の平和の原則を発表しました。1919 年のパリ講和会議はそれを掲げて開かれましたが、
実際にはイギリス・フランスの利害が強く反映されました。
1918 年 1 月、ウィルソン大統領が発表した平和の原則を何という? その主な内容は?
十四か条。秘密外交の廃止・海洋の自由・軍備縮小・民族自決・国際平和機構の設立など
ソヴィエト政権の「平和に関する布告」に対抗する意味もあった。
1919 年、連合国がドイツと結んだ講和条約は?
ヴェルサイユ条約
ドイツは戦争の責任を負わされ、ソヴィエト=ロシアとともに講和会議には招かれなかった。
ヴェルサイユ条約でドイツに課されたことを挙げよ。
すべての植民地の放棄、アルザス・ロレーヌのフランスへの返還、軍備の制限、ラインラントの非武装化、巨額の賠償金
賠償金の額はのちに 1320 億金マルクと決められ、ドイツの経済を圧迫した。
民族自決の原則のもとで、第一次世界大戦の末期から戦後にかけて東ヨーロッパで独立した国を挙げよ。
ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・バルト 3 国・フィンランドなど
フィンランドはロシア革命のさなかの 1917 年末に独立を宣言し、ほかの多くは 1918 年の大戦終結前後に独立した。南スラヴ人の国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国、のちのユーゴスラヴィア)もつくられた。
2. 国際連盟
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
十四か条にもとづいて、史上初の国際平和機構が生まれました。しかし当初から大きな弱点を抱えていました。
1920 年に発足した国際連盟の本部が置かれた都市と、常任理事国は?
ジュネーヴ。常任理事国はイギリス・フランス・イタリア・日本
ドイツは 1926 年、ソ連は 1934 年に加わった。
国際連盟の弱点を挙げよ。
アメリカが加盟しなかったこと、議決が全会一致であること、制裁が経済制裁に限られたこと
大国の不参加と決定の難しさから、紛争を止める力が弱かった。
敗戦国の旧植民地や旧領土は、国際連盟のもとでどう扱われたか?
委任統治(連盟の委任を受けた戦勝国が統治した)
実際には戦勝国による植民地支配と変わらない面が大きかった。
3. ワシントン会議
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
大戦中に中国や太平洋で勢力を広げた日本と、建艦競争の負担を背景に、アメリカのハーディング大統領の呼びかけで会議が開かれました。
ワシントン会議の四か国条約(アメリカ・イギリス・日本・フランス)で決められたことと、その結果廃棄されたものは?
太平洋の島々の現状維持。これにより日英同盟が解消された
日英同盟の存続を警戒していたアメリカのねらいが通った。
ワシントン会議の九か国条約で決められたことは?
中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等
日米間の石井・ランシング協定は廃棄された。会議と並行して、日本は山東半島の旧ドイツ権益を中国に返すことになった。
ワシントン海軍軍備制限条約で決められた主力艦の保有比率は?
アメリカ 5・イギリス 5・日本 3・フランス 1.67・イタリア 1.67
主力艦の建造も一定期間停止された。
4. 1920 年代の国際協調
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(イ)
賠償問題で独仏の対立は深まりましたが、1920 年代半ばからは協調の動きが進みました。
1923 年、フランスとベルギーがドイツの賠償金支払いの遅れを理由に占領した地域は?
ルール地方
ドイツは生産停止で抵抗し、激しいインフレーションが起きた。
1924 年、アメリカの資本をドイツに貸し付けて賠償の支払いを助けた計画は?
ドーズ案
ドイツの経済は立ち直り、賠償金を受け取ったイギリス・フランスがアメリカに戦債を返す資金の循環ができた。
1925 年に結ばれ、ラインラントの非武装化を含む国境の現状維持を確認した条約は?
ロカルノ条約
ドイツの外相シュトレーゼマンが協調外交を進め、翌 1926 年にドイツは国際連盟に加盟した。1928 年には戦争を国家の政策の手段としないことを約束した不戦条約も結ばれた。