ドル危機と石油危機
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」E (2) ア (ア) の「アメリカ合衆国の覇権の動揺」と「資源ナショナリズムの動きと産業構造の転換」。1970 年代に戦後の高度成長を支えた 2 つの柱、安定したドルと安い石油が崩れ、先進国の経済のあり方が大きく変わる流れを押さえます。
0. 何を押さえるか
1971 年のドル=ショックでドルと金の交換が止まり、1973 年の石油危機で安い石油の時代が終わりました。先進国は不況と物価上昇に同時に苦しみ、産業の中身を変えていきます。
| ドル危機 | 石油危機 | |
|---|---|---|
| 年 | 1971 年(ドル=ショック) | 1973 年(第 1 次)、1979 年(第 2 次) |
| きっかけ | ベトナム戦争の戦費などでドルが海外に流出し、金の保有が減った | 第 1 次は第 4 次中東戦争、第 2 次はイラン革命 |
| 結果 | 1973 年に主要国が変動相場制へ移行 | 原油価格が高騰し、先進国の高度成長が終わる |
| 背景にある動き | アメリカ合衆国の覇権の動揺 | 産油国の資源ナショナリズム |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- ドル=ショックで止めたのは「ドルと金の交換」。その年末のスミソニアン協定ではまだ固定相場制を維持し、変動相場制へ移るのは 1973 年
- 第 1 次石油危機でアラブ産油国が石油を武器にしたのは OAPEC、原油価格を引き上げたのは OPEC。2 つは別の組織
- サミット(先進国首脳会議)は石油危機後の 1975 年、フランスの呼びかけで始まった
1. ドル=ショックと変動相場制
根拠: 学習指導要領 世界史探究-E-(2)-ア-(ア)
1960 年代、アメリカはベトナム戦争の戦費や対外援助でドルを大量に流出させ、西ヨーロッパと日本の経済復興で国際収支も悪化しました。ドルを中心とする体制が揺らぎ、アメリカ合衆国の覇権の動揺が表面化します。
1971 年、アメリカのニクソン大統領がドルについて発表した措置は?
ドルと金の交換を停止した(ドル=ショック)
輸入品への課徴金も合わせて発表した。ブレトン=ウッズ体制の柱が崩れた。
ドル=ショックの後、1971 年末に主要国が固定相場制を立て直そうとして結んだ合意は?
スミソニアン協定
ドルを切り下げて固定相場を続けようとした。円は 1 ドル= 360 円から 308 円に改められた。
1973 年、主要国の通貨は為替のどのような仕組みへ移ったか?
変動相場制
為替の比率を市場の需要と供給に任せる仕組みで、1976 年のキングストン合意で正式に認められた。
2. 資源ナショナリズムと石油危機
根拠: 学習指導要領 世界史探究-E-(2)-ア-(ア)
発展途上国の中から、自国の資源を自国のために使おうとする資源ナショナリズムの動きが強まりました。先進国の国際石油資本(メジャー)が握っていた石油の支配権も、産油国へ移っていきます。
資源ナショナリズムとは、どのような動きか?
発展途上国が、自国の天然資源の管理権を外国資本から取り戻し、自国の発展に役立てようとする動き
1951 年にイランのモサッデグ首相が石油の国有化を図ったのは、その早い例である。
1960 年、産油国が国際石油資本に対抗して結成した組織は?
石油輸出国機構(OPEC)
1968 年にはアラブの産油国がアラブ石油輸出国機構(OAPEC)を結成した。
1973 年の第 1 次石油危機は、どのように起きたか?
第 4 次中東戦争で、OAPEC がイスラエルを支持する国への石油輸出を制限し、OPEC が原油価格を大幅に引き上げた
石油を政治の武器として使った「石油戦略」で、安い石油に頼っていた先進国の経済は大きな打撃を受けた。
1979 年の第 2 次石油危機のきっかけとなったできごとは?
イラン革命
国王の独裁が倒れ、ホメイニを指導者とするイスラーム共和国が成立した。石油の生産が混乱し、価格が再び高騰した。
1974 年、国連の資源特別総会で発展途上国が求めて採択された宣言は?
新国際経済秩序(NIEO)樹立宣言
天然資源に対する恒久的な主権や、途上国に有利な貿易条件を求めた。
3. 先進国の対応と産業構造の転換
根拠: 学習指導要領 世界史探究-E-(2)-ア-(ア)
石油危機のあと、先進国は不況と物価上昇が同時に進む事態に直面しました。政府の役割を見直す考えが広がり、産業の中心も移っていきます。
石油危機の後の先進国で見られた、不況とインフレーション(物価上昇)が同時に進む状態を何という?
スタグフレーション
景気を刺激すれば物価が上がり、物価を抑えれば不況が深まるため、それまでの政策では対応しにくかった。
1975 年、石油危機後の世界経済について話し合うため、フランスの呼びかけで始まった会議は?
先進国首脳会議(サミット)
第 1 回はフランスのランブイエで開かれ、アメリカ・イギリス・西ドイツ・イタリア・日本が参加した。
石油危機の後、日本などの先進国で起きた産業構造の転換とは、どのようなものか?
エネルギーを大量に使う重化学工業から、省エネルギー型の産業や電子工業などの知識集約型の産業、サービス業へ中心が移った
石油価格の高騰で、資源を多く使う産業の不利がはっきりしたことが背景にある。
1980 年代にイギリスのサッチャーやアメリカのレーガンが進めた、政府の役割を小さくし市場の働きを重んじる考え方を何という?
新自由主義
国営企業の民営化や規制緩和、減税を進めた。日本でも中曽根内閣のもとで国鉄などが民営化された。
1985 年、先進 5 か国がドル高を是正するために協調して為替市場に介入することを決めた合意は?
プラザ合意
アメリカの貿易赤字を減らすねらいがあった。日本では急速な円高が進んだ。