キリスト教の成立と広がり
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (ウ) の「キリスト教とイスラームの成立とそれらを基盤とした国家の形成など」のうち、キリスト教の成立と、ローマ帝国がそれを公認し国教とするまでを扱います。
内容の取扱いは、国家と宗教の関係に気付くよう求めています。
0. 何を押さえるか
キリスト教は、ローマの支配下にあった西アジアのパレスチナで、ユダヤ教を母体として生まれました。
はじめは皇帝崇拝を拒んだために迫害されましたが、信者が地中海の各地に広がると、4 世紀にローマ帝国はこれを公認し、さらに国教としました。
皇帝は公会議を開いて教義の争いに決着をつけ、正統と異端を定めていきます。
| 年 | 出来事 | 皇帝 |
|---|---|---|
| 64 | ローマの大火のあと、キリスト教徒を迫害 | ネロ |
| 303〜 | 最後の大迫害 | ディオクレティアヌス |
| 313 | ミラノ勅令でキリスト教を公認 | コンスタンティヌス |
| 325 | ニケーア公会議。アタナシウス派を正統とする | コンスタンティヌス |
| 392 | キリスト教を国教とし、ほかの宗教を禁止 | テオドシウス |
| 431 | エフェソス公会議。ネストリウス派を異端とする | (東ローマ皇帝が招集) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 313 年は公認、392 年は国教化。公認はほかの宗教と並んで信仰を認めること、国教化はキリスト教以外を禁じること
- ニケーア公会議で異端とされたのはアリウス派、エフェソス公会議で異端とされたのはネストリウス派。アリウス派はゲルマン人に、ネストリウス派はササン朝や唐に広まった
- ユダヤ教は選ばれた民族の宗教、キリスト教は民族をこえた宗教。パウロの異邦人への伝道がその転換点になった
1. ユダヤ教とイエスの教え
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
ヘブライ人(ユダヤ人)は、唯一神ヤハウェを信じるユダヤ教を育てました。
ローマの支配下にあった 1 世紀のパレスチナで、イエスはユダヤ教の指導者たちを批判し、新しい教えを説きました。
ユダヤ教の特色として押さえる 3 つの考え方は?
唯一神ヤハウェへの信仰、自分たちが神に選ばれた民であるという選民思想、救世主(メシア)の到来を待つ思想
バビロン捕囚から解放されたのち、ヤハウェの神殿を再建するなかで教えが確立した。聖典は『旧約聖書』。
イエスが批判した、ユダヤ教の指導者(パリサイ派など)の考え方は?
律法を形のうえで守ることを重んじる律法主義
イエスは、神の愛はすべての人に及ぶと説き、隣人を愛することを求めた。
イエスが十字架にかけられて処刑されたのは、どの権力のもとでか?
ローマ(ローマのユダヤ総督ピラト)
ユダヤ教の指導者たちに、ローマへの反逆者として訴えられた。
イエスの死後、弟子たちが信じたことは?
イエスが復活したこと、イエスこそ救世主(キリスト)であること
この信仰を中心にキリスト教が成立した。「キリスト」はギリシア語で救世主を意味する。
2. 布教と迫害
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
弟子たちは、ローマ帝国の道路網や、ヘレニズム時代に広まったギリシア語を通じて、帝国の各地へ教えを広めました。
ユダヤ人以外の人々(異邦人)に伝道し、キリスト教を民族をこえた宗教にするうえで大きな役割を果たした使徒は?
パウロ
各地の信者に手紙を書き送り、それらは『新約聖書』に収められた。ペテロはローマで布教したとされる。
『新約聖書』は、何語で書かれたか?
ギリシア語(コイネー)
ヘレニズム時代に地中海世界の共通語として広まったギリシア語が使われた。
ローマ帝国がキリスト教徒を迫害した主な理由は?
キリスト教徒が皇帝を神として崇める皇帝崇拝を拒んだため
信者は地下の墓所(カタコンベ)などで信仰を守った。
3. 公認から国教化へ
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
迫害を受けても信者は増え続け、帝国の支配層にも広がりました。
帝国の統一を保つには、キリスト教を取り込むほうが得策と考えられるようになります。
313 年、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した法令は?
ミラノ勅令
直前のディオクレティアヌス帝の時代には、最後の大迫害が行われていた。
4 世紀後半、ローマの伝統的な神々の信仰を復活させようとした皇帝は?
ユリアヌス(「背教者」と呼ばれた)
この試みは長続きせず、キリスト教の広がりは止まらなかった。
392 年にキリスト教を国教とし、ほかの宗教を禁じた皇帝は?
テオドシウス帝
この皇帝の死後(395 年)、ローマ帝国は東西に分かれた。
4. 公会議と教義の確定
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)
信者が増えると、イエスをどう理解するかをめぐって教会の内部で争いが起きました。
皇帝は公会議を開いて正統と異端を定め、教会の統一は帝国の統一と結びつけられました。
325 年、コンスタンティヌス帝が招集したニケーア公会議で、正統とされた説と異端とされた説は?
正統はアタナシウス派、異端はアリウス派
アタナシウス派の説は、のちに父なる神・子なるイエス・聖霊を一体とみる三位一体説として確立した。
アリウス派は、異端とされたのちどこで広まったか?
ゲルマン人の間
ゲルマン人の多くはアリウス派を受け入れていたため、正統派(アタナシウス派)のローマ系住民との間に溝が生じた。
431 年のエフェソス公会議で異端とされたネストリウス派は、どこへ広まったか?
ササン朝ペルシアを経て中央アジア、唐
唐では景教と呼ばれた。
キリスト教の教義の確立に貢献した学者(教父)で、『神の国』を著したのは?
アウグスティヌス
北アフリカで活躍した教父で、のちの西ヨーロッパの神学に大きな影響を与えた。