みならいノート

世界史探究 2027年度版

イスラームの成立とイスラーム国家

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学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (ウ) の「キリスト教とイスラームの成立とそれらを基盤とした国家の形成など」のうち、イスラームの成立と、それを基盤とした国家がアッバース朝の成立まで形づくられていく過程を扱います。
思考力の事項は、キリスト教とイスラームを基盤とした国家の特徴を考察するよう求めています。

0. 何を押さえるか

7 世紀のはじめ、アラビア半島のメッカでムハンマドが唯一神アッラーの教えを説き、イスラームが生まれました。
ムハンマドの死後、後継者(カリフ)のもとでアラブ人は大征服を行い、西アジアから地中海の南岸・イベリア半島に及ぶ広大な国家を築きます。
ウマイヤ朝ではアラブ人が特権をもつ「アラブ帝国」でしたが、アッバース朝では民族にかかわらずムスリム(イスラーム教徒)が平等とされる「イスラーム帝国」へと性格が変わりました。

正統カリフ時代 ウマイヤ朝 アッバース朝
時期 632〜661 661〜750 750〜1258
中心 メディナ ダマスクス バグダード(第 2 代マンスールが造営)
カリフの選び方 信徒の合意で選ぶ 世襲 世襲
税の扱い ― アラブ人は地租(ハラージュ)・人頭税(ジズヤ)を免除される特権 ムスリムならジズヤなし、土地をもつ者はアラブ人もハラージュを負担
性格 大征服の開始 アラブ帝国 イスラーム帝国

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. ムハンマドとクルアーン

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)

6 世紀後半、ササン朝とビザンツ帝国の争いで東西の交易路が不安定になると、アラビア半島を通る商業路が栄え、メッカの商人が富を得ました。
その一方で貧富の差が広がり、部族の伝統的な結びつきがゆらいでいました。

610 年ごろ、唯一神アッラーの啓示を受けた預言者として、メッカで教えを説き始めた人物は?

ムハンマド

クライシュ族の商人の出身。偶像崇拝を否定し、神の前での信者の平等を説いた。

622 年、メッカの有力者たちの迫害を受けたムハンマドが信者とともにメディナへ移ったことを何という?

ヒジュラ(聖遷)

この年がイスラーム暦(ヒジュラ暦)の元年とされる。メディナでムスリムの共同体(ウンマ)がつくられた。

630 年、ムハンマドがメッカを征服したときに行ったことは?

カーバ神殿の偶像を破壊し、神殿をイスラームの聖殿とした

その後、アラビア半島の多くの部族がムハンマドに従った。ムハンマドは 632 年に亡くなった。

ムハンマドが受けた神の言葉を、アラビア語で記したイスラームの聖典は?

クルアーン(コーラン)

信仰の内容だけでなく、日常生活や社会の規範も含んでいる。ムスリムは六信五行(6 つの信仰と 5 つの義務)を守る。

イスラームの法(シャリーア)は、何をもとに定められたか?

クルアーンと、ムハンマドの言行(スンナ)を伝えるハディース

宗教の戒律だけでなく、結婚・相続・商取引など生活全体にかかわる。政治と宗教が分かれていないのがイスラーム国家の特色である。

2. 正統カリフ時代

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)

ムハンマドの死後、信徒たちは後継者としてカリフを選び、アラブ人の大征服が始まりました。

ムハンマドの死後、信徒の合意で選ばれた 4 代のカリフの時代を何という?

正統カリフ時代(632〜661)

アブー=バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの 4 人。

正統カリフ時代の大征服で、アラブ軍が 642 年に打ち破った国は?

ササン朝(ニハーヴァンドの戦い)

同じころ、ビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪った。

アラブ人は征服した土地をどのように支配したか?

各地に軍営都市(ミスル)を建ててアラブ人を移り住ませ、住民から税を取った

征服された人々のうち、キリスト教徒やユダヤ教徒は、税を納めれば信仰を認められた。

3. ウマイヤ朝とアッバース朝

根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ウ)

第 4 代カリフのアリーが暗殺されると、シリア総督のムアーウィヤがカリフとなり、ウマイヤ朝を開きました。
ウマイヤ朝はさらに領土を広げましたが、アラブ人を優遇する支配への不満が高まり、アッバース朝に倒されます。

661 年、ムアーウィヤが開いたウマイヤ朝の都と、カリフの位の継ぎ方は?

都はダマスクス、カリフの位は世襲

選挙で選ぶ正統カリフ時代から、一族が位を継ぐ王朝へと変わった。

ムハンマドのいとこで娘婿のアリーとその子孫だけを、ムスリムの正しい指導者とする人々を何という?

シーア派

これに対して、歴代のカリフを認める多数派をスンナ派という。

ウマイヤ朝は 711 年に西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島に進出した。732 年、さらにフランク王国に進んだアラブ軍が敗れた戦いは?

トゥール・ポワティエ間の戦い

フランク王国の宮宰カール=マルテルが率いる軍に敗れた。

ウマイヤ朝が「アラブ帝国」と呼ばれるのはなぜか?

支配者のアラブ人が税の免除などの特権をもち、改宗した非アラブ人(マワーリー)を差別したため

マワーリーやシーア派の不満が、ウマイヤ朝を倒す力になった。

750 年にウマイヤ朝を倒して成立したアッバース朝は、税の扱いをどう変えたか?

ムスリムであれば民族を問わずジズヤ(人頭税)を免除し、アラブ人も土地をもてばハラージュ(地租)を納めることにした

民族ではなく信仰によって扱いを決めたので、「イスラーム帝国」と呼ばれる。

751 年、アッバース朝の軍が唐の軍を破った戦いは?

タラス河畔の戦い

このとき捕虜となった唐の兵から、製紙法がイスラーム世界に伝わったとされる。

このノートの 14 問を、暗記カードで復習できます

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