ウィーン体制と自由主義
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (2) ア (ア) の「自由主義とナショナリズム」のうち、ナポレオン後のヨーロッパの秩序と、それを揺るがした運動を扱います。自由主義は、憲法と議会によって個人の自由と権利を守ろうとする考え方です。
0. 何を押さえるか
ウィーン会議は革命前の君主の支配を取り戻そうとしました(ウィーン体制)。しかしフランス革命で広まった自由主義とナショナリズムは抑えきれず、1830 年と 1848 年の革命の波で体制は崩れていきます。イギリスは革命ではなく、議会を通じた改革で変化に応えました。
| 七月革命(1830 年) | 二月革命(1848 年) | |
|---|---|---|
| 倒れた王 | シャルル 10 世(復古ブルボン朝) | ルイ=フィリップ(七月王政) |
| 成立した政体 | 七月王政(立憲君主政) | 第二共和政 |
| 担い手 | パリ民衆の蜂起(実権は自由主義的な大資本家へ) | 選挙権の拡大を求める中小資本家・労働者 |
| 周辺への影響 | ベルギーの独立、ポーランドの反乱 | ウィーン三月革命・ベルリン三月革命など(1848 年の革命) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 七月革命は立憲君主政のまま王が替わった、二月革命は王政そのものを倒した
- 1848 年の革命でメッテルニヒが失脚し、ウィーン体制は崩れた。ただし各地の革命の多くは翌年までに鎮圧された
- イギリスの第 1 回選挙法改正(1832 年)で選挙権を得たのは産業資本家などの中産階級。労働者は得られず、チャーティスト運動を起こした
1. ウィーン会議とウィーン体制
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(ア)
1814〜1815 年、ナポレオン戦争後の秩序を話し合うため、ヨーロッパ諸国の代表がウィーンに集まりました。
ウィーン会議を主導したオーストリアの外相(のち宰相)は?
メッテルニヒ
各国の利害が対立して会議がなかなか進まず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。
ウィーン会議の原則となった正統主義とは、どのような考えか?
フランス革命前の王朝と領土を正統なものとして復活させる考え
フランスの代表タレーランが唱えた。フランスとスペインではブルボン朝が復活した。
ウィーン会議の結果、ドイツにつくられたのは?
ドイツ連邦(オーストリア・プロイセンを含む諸邦の連合)
神聖ローマ帝国は復活しなかった。ほかにスイスの永世中立が認められ、ロシア皇帝はポーランド王を兼ねた。
ロシア皇帝アレクサンドル 1 世の提唱で結ばれ、キリスト教の精神に基づく君主の協調をうたった同盟は?
神聖同盟
実際に体制を支えたのは、イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンの四国同盟(のちフランスが加わり五国同盟)だった。
2. 体制への抵抗
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(ア)
各地で自由主義や民族の統一・独立を求める運動が起きましたが、多くはメッテルニヒの主導で抑え込まれました。ただしギリシアの独立は、列強の利害から支援されました。
1825 年、ロシアで自由主義的な青年将校が起こし、鎮圧された反乱は?
デカブリストの乱(十二月党員の乱)
ドイツの学生組合(ブルシェンシャフト)、イタリアの秘密結社カルボナリの運動も抑圧された。
オスマン帝国からのギリシアの独立(1829 年)が認められたのはなぜか?
イギリス・フランス・ロシアが、自国の利害からギリシアを支援したから
ウィーン体制の正統主義からすれば支配者側を助けるはずだが、列強はオスマン帝国の弱体化を利用した。
3. 七月革命と二月革命
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(ア)
フランスでは、反動的な政治への反発から 2 度の革命が起き、その影響がヨーロッパ各地に広がりました。
1830 年、シャルル 10 世を倒した七月革命のあと、国王に迎えられたのは?
ルイ=フィリップ(七月王政)
「フランス国民の王」を名のったが、選挙権は大資本家などに限られていた。
七月革命の影響を受け、1830 年にオランダから独立を宣言した国は?
ベルギー
一方、ロシア支配に反発したポーランドの反乱は鎮圧された。
1848 年の二月革命で成立した臨時政府に、社会主義者として加わった人物は?
ルイ=ブラン
失業者に仕事を与える国立作業場をつくったが、選挙で社会主義者が敗れ、その閉鎖に反発した六月蜂起は鎮圧された。
二月革命のあと大統領に選ばれ、のちにクーデタと国民投票を経て皇帝となった人物は?
ルイ=ナポレオン(ナポレオン 3 世、第二帝政)
ナポレオン 1 世の甥。農民などの支持を集めた。
「諸国民の春」とも呼ばれる 1848 年の革命で、オーストリアとドイツで起きたことは?
ウィーン三月革命でメッテルニヒが失脚し、ベルリンでも三月革命が起きた
ドイツ統一と憲法を話し合うフランクフルト国民議会も開かれたが、統一は実現しなかった。ハンガリーやベーメンでは民族運動が起きた。
4. イギリスの改革
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(ア)
イギリスでは、産業革命で力をつけた資本家の要求を受けて、議会が段階的に改革を進めました。革命を経ずに自由主義的な改革が進んだ点が大陸と対照的です。
1829 年のカトリック教徒解放法は、何を認めたか?
カトリック教徒が公職に就くこと
前年の審査法廃止で、国教徒以外のプロテスタントにも公職への道が開かれていた。
1832 年の第 1 回選挙法改正の内容は?
腐敗選挙区を廃止し、産業資本家など都市の中産階級に選挙権を広げた
労働者には選挙権が与えられなかった。
選挙権を得られなかった労働者が、男性普通選挙などを掲げた人民憲章を求めた運動は?
チャーティスト運動
運動は 1840 年代に盛り上がったが、要求がすぐには実現しなかった。