アフリカ分割と太平洋の分割
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (3) ア (ア) の「帝国主義諸国の抗争」と「世界分割の進展」に当たります。
19 世紀末、アフリカと太平洋の島々は、わずか数十年のうちに列強に分け尽くされました。その進め方と、列強どうしの衝突を押さえます。
0. 何を押さえるか
アフリカ分割は、ベルリン会議(1884〜85 年)で「早く実効支配した国が領有できる」という原則が確認されたことで一気に進みました。
イギリスとフランスは進む方向が交差し、ドイツ・イタリアはあとから割り込みました。
| 進め方 | 主な支配地 | ぶつかった相手・出来事 | |
|---|---|---|---|
| イギリス | 縦断政策(カイロとケープタウンを結ぶ) | エジプト、スーダン、南アフリカ | フランス(ファショダ事件)、ブール人(南アフリカ戦争) |
| フランス | 横断政策(アルジェリアからジブチ・マダガスカルへ) | アルジェリア、チュニジア、サハラ、モロッコ | イギリス(ファショダ事件)、ドイツ(モロッコ事件) |
| ドイツ | 遅れて参入 | カメルーン、南西アフリカ、東アフリカ | フランス(モロッコ事件) |
| イタリア | 遅れて参入 | エリトリア、ソマリランド、リビア | エチオピア(アドワの戦いで敗北) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 縦断はイギリス、横断はフランス。2 つの線が交わったのがスーダンのファショダ
- ファショダ事件ではフランスが譲り、英仏は対立から協調へ転じた(1904 年の英仏協商)
- 20 世紀初めに独立を保っていたアフリカの国はエチオピアとリベリアだけ。エチオピアはイタリアを撃退して独立を守った
1. ベルリン会議と分割の始まり
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(ア)
19 世紀後半、リヴィングストンやスタンリーの探検でアフリカ内陸部の事情が知られるようになると、列強は競って進出しました。
コンゴ地方をめぐる対立を調整するために開かれたのがベルリン会議です。
1884〜85 年、アフリカ分割の原則を定めるためにビスマルクが開いた国際会議は?
ベルリン会議(ベルリン=コンゴ会議)
先に占領し実効支配した国が領有できるという原則が確認され、分割競争が加速した。
ベルリン会議で、ベルギー国王レオポルド 2 世の私的な支配地として認められた地域は?
コンゴ自由国
住民に天然ゴムの採集を強制するなど過酷な支配が国際的に批判され、1908 年にベルギー政府の植民地に移された。
2. イギリスの縦断政策
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(ア)
イギリスは北のエジプトと南のケープ植民地を足場に、アフリカを南北に貫こうとしました。
1882 年、イギリスが単独で出兵してウラービー運動を鎮圧したことは、アフリカ分割でどんな意味をもったか?
エジプトを事実上の保護下に置き、縦断政策の北の足場を得た
スエズ運河を押さえてインドへの道を守ることにもなった。ここからスーダンへ南下し、マフディー運動とぶつかる。
スーダンで、救世主を名のる指導者のもとイギリス・エジプトの支配に抵抗した運動は?
マフディー運動
一時はイギリスの将軍ゴードンを戦死させたが、19 世紀末にイギリス軍に制圧された。
ケープ植民地の首相として、南アフリカでの領土拡大を進めたイギリス人は?
セシル=ローズ
ダイヤモンド・金の鉱山で財を成し、自らの名を冠したローデシアを獲得した。
1899〜1902 年、イギリスがブール人のトランスヴァール共和国・オレンジ自由国を征服した戦争は?
南アフリカ戦争(ブール戦争)
金とダイヤモンドの産地が狙いだった。予想外に苦戦したイギリスは、このあと「光栄ある孤立」を見直し、1902 年に日英同盟を結ぶ。1910 年には南アフリカ連邦(自治領)がつくられた。
3. フランスの横断政策と列強の衝突
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(ア)
フランスはアルジェリア(1830 年に出兵)を足場に、サハラを越えて東へ進みました。
イギリスの縦断とフランスの横断はスーダンで交わり、あとから加わったドイツ・イタリアも衝突を起こしました。
1898 年、スーダンでイギリス軍とフランス軍が対峙した事件は? どう決着したか?
ファショダ事件。フランスが譲歩して撤退した
ドイツの台頭に備えたいフランスはイギリスとの戦争を避けた。これが英仏接近のきっかけになった。
1904 年の英仏協商で、イギリスとフランスが互いに認め合った優越権は?
イギリスはエジプト、フランスはモロッコ
アフリカでの対立を清算した取り決めで、ドイツに対抗する協力関係が生まれた。
フランスのモロッコ支配に対し、ドイツが 1905 年と 1911 年の 2 度にわたって挑戦した事件を何という? その結果は?
モロッコ事件。ドイツの主張は通らず、1912 年にモロッコはフランスの保護国になった
イギリスがフランスを支持したため、かえって英仏の結びつきが強まり、ドイツの孤立が深まった。
1896 年、イタリア軍がエチオピア軍に敗れた戦いは?
アドワの戦い
エチオピアは独立を守り、リベリアとともに独立国として残った。イタリアはその後、1911〜12 年のイタリア=トルコ戦争でオスマン帝国からリビアを奪った。
4. 太平洋の分割
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(3)-ア-(ア)
太平洋の島々も、19 世紀末までにほとんどが列強の領土になりました。遅れて加わったドイツとアメリカが、スペインの旧領などを手に入れています。
1898 年にアメリカ合衆国が併合した太平洋の島々は? その前に何が起きていたか?
ハワイ。1893 年にアメリカ系の住民らが女王リリウオカラニを退位させて王国を倒していた
太平洋の中継地として重要視された。同じ年の米西戦争でアメリカはグアムとフィリピンも得ている。
米西戦争に敗れたスペインから、1899 年にドイツが買い取った太平洋の島々は?
カロリン諸島・マリアナ諸島(グアムを除く)
ドイツはすでにマーシャル諸島やビスマルク諸島も持っていた。これらの島々は第一次世界大戦で日本が占領する。
イギリスが植民地としたオーストラリアとニュージーランドで、それぞれ土地を奪われた先住民は?
オーストラリアはアボリジニー、ニュージーランドはマオリ
白人の入植が進むにつれて先住民は土地を追われた。両地域はのちに自治領となる。