みならいノート

歴史総合 2027年度版

石油危機と経済の自由化

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「歴史総合」D (3) ア (ア) の「石油危機,……市場開放と経済の自由化,……などを基に,市場経済の変容と課題を理解すること」。
高度経済成長を支えた固定相場制と安い石油が 1970 年代に崩れ、先進国が協調と自由化で立て直そうとした流れを扱います。
第 1 回サミットの参加国と背景は 2026-09-27 に外務省の「ランブイエ・サミット」のページと、
プラザ合意の中身は国立国会図書館の調査資料(ISSUE BRIEF「資産価格バブルと日本経済の現状」)と突き合わせました。

0. 何を押さえるか

1970 年代の 2 つのショックで、戦後の世界経済を支えた前提が崩れました。そのあと先進国は、首脳が集まって政策を協調させ、
国内では「大きな政府」を見直して規制緩和・民営化を進めます。日本は輸出で黒字を積み上げ、貿易摩擦から市場開放を迫られました。
この 20 年ほどの動きが、学習指導要領のいう市場経済の変容です。

年 できごと 何が変わったか
1971 ニクソン・ショック ドルと金の交換が止まり、固定相場制が揺らぐ
1973 変動相場制へ移行/第 1 次石油危機 安い石油の時代が終わる。日本の高度経済成長が終わる
1975 第 1 回サミット 先進国の首脳が経済政策を協調させる場ができる
1979 第 2 次石油危機 イラン革命で原油価格が再び上がる
1980 年代 新自由主義・民営化 「小さな政府」へ。規制緩和と経済の自由化
1985 プラザ合意 ドル高を是正。日本は円高になり、のちにバブル経済へ

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. ドル・ショックと石油危機

根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(3)-ア-(ア)

戦後の世界経済は、ドルを金と交換できる基軸通貨とし、各国通貨をドルに固定する仕組み(ブレトン・ウッズ体制)と、
中東から大量に入る安い石油の上に成り立っていました。1970 年代に、この 2 つが続けて崩れます。

1971 年、アメリカのニクソン大統領が発表した、ドルについての重大な政策転換は?

ドルと金の交換停止

ニクソン・ショック(ドル・ショック)と呼ばれる。ベトナム戦争の戦費などでアメリカの国際収支が悪化していたことが背景にある。

ニクソン・ショックのあと、1973 年に主要国の通貨が移った為替相場の仕組みは?

変動相場制

為替レートが市場の需給で決まる仕組み。それまでの固定相場制では、1 ドルは 360 円(1971 年末のスミソニアン協定からは 308 円)に固定されていた。

第 1 次石油危機(1973 年)のきっかけとなった戦争は?

第 4 次中東戦争

アラブ産油国がイスラエルを支持する国への石油輸出を制限し、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を大幅に引き上げた。

第 1 次石油危機のあと、日本経済はどうなったか?

激しい物価上昇(狂乱物価)が起こり、1974 年に戦後初めてのマイナス成長となった

これで高度経済成長が終わり、日本は安定成長の時代に入る。

第 2 次石油危機(1979 年)のきっかけとなった出来事は?

イラン革命

親米の王政が倒れ、イスラーム教の指導者を中心とする体制ができた。産油国イランの混乱で原油価格が再び上がった。

石油危機のあと、日本の産業はどのように構造を変えたか?

省エネルギーを進め、鉄鋼・石油化学のような資源を多く使う産業から、自動車・電子機器など加工組立型の産業へ重心を移した

企業は人員や経費を切り詰める減量経営も進め、先進国の中では比較的早く石油危機から立ち直った。

2. 先進国の協調と新自由主義

根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(3)-ア-(ア)

石油危機で先進国は物価上昇と不況が同時に進む状態(スタグフレーション)に苦しみました。
国ごとの対策では足りないので首脳どうしが集まる場をつくる一方、国内では財政赤字の膨らんだ福祉国家を見直す考え方が強まります。

石油危機後の世界経済を話し合うため、1975 年にフランスのランブイエで初めて開かれた、先進国首脳の会議は?

サミット(主要国首脳会議)

第 1 回の参加国は日本・アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・イタリアの 6 か国。日本はアジアから唯一の参加国だった。

1980 年代にイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権がとった、「小さな政府」をめざして規制緩和や国営企業の民営化を進める考え方は?

新自由主義

市場の働きを重んじ、政府の役割を小さくする。戦後の福祉国家(大きな政府)への見直しとして広がった。

1980 年代の日本で中曽根康弘内閣が民営化した 3 つの公社は?

日本電信電話公社・日本専売公社・日本国有鉄道

それぞれ NTT・JT・JR グループになった。日本版の新自由主義的な改革で、行政改革の柱とされた。

3. 市場開放と日本の経済

根拠: 学習指導要領 歴史総合-D-(3)-ア-(ア)

石油危機を早く乗り切った日本は、自動車や電子機器の輸出を伸ばし、アメリカとの間に大きな貿易黒字を抱えました。
アメリカは日本に輸出の自主規制と市場開放を求め、プラザ合意のあとは円高と低金利が日本経済の形を大きく変えます。

1980 年代、日本の対米貿易黒字が膨らんで起きた日米間の対立を何という?

日米貿易摩擦

アメリカは日本に対して自動車などの輸出の自主規制と、日本の市場開放を求めた。

日米交渉を受けて 1991 年に日本が輸入を自由化した農産物は?

牛肉とオレンジ

1988 年の日米合意に基づく。農産物の市場開放は、のちに GATT のウルグアイ・ラウンドでコメにも及んだ。

1985 年、先進 5 か国(G5)の蔵相・中央銀行総裁がドル高を是正するため協調介入に合意したことを何という?

プラザ合意

ニューヨークのプラザホテルでの会合。合意のあと急速に円高が進み、日本では輸出産業が打撃を受けた(円高不況)。

プラザ合意後の低金利のもとで、1980 年代後半の日本で株価と地価が実態からかけ離れて高騰した経済を何という?

バブル経済

1990 年代初めに崩壊し、金融機関は多額の不良債権を抱えた。そのあと長い低成長の時代が続く。

GATT のウルグアイ・ラウンドの合意を受けて、1995 年に発足した国際機関は?

世界貿易機関(WTO)

モノの貿易だけでなく、サービスや知的財産権も扱う。貿易の自由化を進める経済の自由化の柱の 1 つ。

このノートの 14 問を、暗記カードで復習できます

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答えを隠して出題し、忘れそうなころにもう一度出します。

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