市民革命と国民国家の形成
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「歴史総合」B (3) ア (ア) の「18 世紀後半以降の欧米の市民革命や国民統合の動向」。
内容の取扱いは、人々の政治的な発言権が拡大して近代民主主義社会の基礎が成立したことと、
国民国家以外の国家形態(多民族からなる帝国など)が存在したことにも触れるよう求めています。
0. 何を押さえるか
市民革命は、身分や王の権力にしばられていた政治を、人々の権利と議会にもとづく政治へと変えた動きです。
その先で、同じ国に属しているという意識(国民意識)で人々をまとめる国民統合が進み、
国民を主権の担い手とする国民国家がつくられていきました。
| 出来事 | 年 | 何が生まれたか |
|---|---|---|
| アメリカ独立宣言 | 1776 | 生命・自由・幸福追求の権利、圧政への抵抗権 |
| アメリカ合衆国憲法 | 1787 | 連邦制・三権分立・人民主権 |
| フランス革命と人権宣言 | 1789 | 自由・平等・国民主権・所有権の不可侵 |
| イタリア王国の成立 | 1861 | サルデーニャ王国を中心とする統一 |
| 南北戦争 | 1861〜1865 | 連邦の維持と奴隷制の廃止 |
| ドイツ帝国の成立 | 1871 | プロイセン王国を中心とする統一 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- アメリカ独立宣言(1776 年)と合衆国憲法(1787 年)は別のもの。宣言は独立と権利をうたい、憲法は国のしくみ(連邦制・三権分立)を定めた
- イタリアの統一の中心はサルデーニャ、ドイツの統一の中心はプロイセン。統一は「下からの革命」だけでなく、有力な王国が戦争と外交で進めた
- 19 世紀の国家がみな国民国家だったわけではない。オスマン帝国・ロシア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国は、多くの民族を抱えた帝国のままだった
1. アメリカ独立革命
根拠: 学習指導要領 歴史総合-B-(3)-ア-(ア)
イギリスの北アメリカ植民地は、本国が議会に代表を送らせないまま課税したことに反発し、独立戦争を起こしました。
独立後に定めた憲法は、国王を置かない共和政を、広い国土で連邦制と三権分立によって組み立てたものでした。
1776 年、北アメリカの 13 植民地が発表し、生命・自由・幸福追求の権利と圧政に抵抗する権利をうたった文書は?
アメリカ独立宣言
ジェファソンらが起草した。ロックの社会契約説の影響を受けている。
「代表なくして課税なし」は、何に対する北アメリカ植民地の主張か?
植民地の代表がいないイギリス本国議会が、植民地に課税したこと
印紙法などへの反対運動の中で唱えられ、独立戦争へとつながった。
1787 年に定められたアメリカ合衆国憲法が採った、国のしくみの 2 つの柱は?
連邦制と三権分立
州に広い自治を残しつつ中央政府を置き、立法・行政・司法を分けて互いに抑え合わせた。
2. フランス革命とナポレオン
根拠: 学習指導要領 歴史総合-B-(3)-ア-(ア)
フランス革命は、身分制(旧体制)を壊し、国の主権は国王でなく国民にあるという考えを打ち立てました。
革命を守る戦争の中で、国民が兵士として国を支える国民軍も生まれます。
1789 年、フランスの国民議会が採択し、自由・平等、国民主権、所有権の不可侵をうたった宣言は?
人権宣言(人間および市民の権利の宣言)
旧体制(アンシャン=レジーム)の身分制を否定する原理を示した。
フランス革命前の、聖職者・貴族・平民の 3 つの身分からなる社会のしくみを何という?
旧体制(アンシャン=レジーム)
第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)が免税などの特権を持ち、第三身分(平民)が税を負っていた。
1804 年にナポレオンが定め、法の前の平等や所有権の不可侵など革命の成果を法典にまとめたものは?
ナポレオン法典(民法典)
ナポレオンの支配を受けた地域にも広まり、各地の民法の手本になった。
3. 国民統合と国家の統一
根拠: 学習指導要領 歴史総合-B-(3)-ア-(ア)
19 世紀のヨーロッパでは、言語や文化を同じくする人々で 1 つの国をつくろうとする動き(ナショナリズム)が強まりました。
国民統合は、学校教育・徴兵制・国語の普及などを通して、「国民」という意識を人々に持たせることでも進められました。
1861 年、サルデーニャ王国を中心に成立した国家は?
イタリア王国
首相カヴールの外交と、南イタリアを征服して国王に献じたガリバルディの活動で統一が進んだ。
「鉄血政策」を掲げてプロイセンによるドイツ統一を進め、1871 年のドイツ帝国成立を導いた首相は?
ビスマルク
オーストリアやフランスとの戦争に勝ち、プロイセン王がドイツ皇帝に即位した。
アメリカで 1861 年に始まった南北戦争で、北部(リンカン大統領)が開戦時に掲げた目的は?
連邦の維持(南部の分離を認めない)
戦争のさなかの 1863 年に、リンカン大統領は奴隷解放宣言を出した。北部の勝利で国家の統一が保たれた。
4. 発言権の拡大と、国民国家以外の国家
根拠: 学習指導要領 歴史総合-B-(3)-ア-(ア)
市民革命のあとも、選挙権ははじめ財産のある男性に限られていました。
選挙権が段階的に広がり、人々の政治的な発言権が拡大することで、近代民主主義社会の基礎がつくられていきます。
一方、同じ時期に、多くの民族を皇帝のもとで治める帝国も並び立っていました。
1830〜1840 年代のイギリスで、労働者が男性普通選挙などを求めて人民憲章を掲げた運動は?
チャーティスト運動
1832 年の第 1 回選挙法改正で選挙権を得たのは主に産業資本家で、労働者は取り残されていた。
「国民国家」とは、どういう国家か?
国民としての一体感を持つ人々が主権の担い手となり、1 つの国家をつくるもの
国境の中の人々を平等な「国民」としてまとめることを理想とする。現実には少数民族を抱え、同化を迫ることもあった。
19 世紀のヨーロッパとその周辺で、国民国家ではなく多くの民族を皇帝のもとに抱えたまま存続した代表的な 3 つの帝国は?
オスマン帝国・ロシア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国
民族ごとの独立を求めるナショナリズムが、こうした帝国を内側から揺さぶった。