社会運動の広がり
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ア) の「社会運動の動向」に当たる部分です。
1918 年の米騒動をきっかけに、労働者・小作農・女性・被差別部落の人々が、それぞれ組織をつくって権利を求める社会運動が大正期に一斉に広がりました。
(明治期の労働問題・足尾鉱毒事件・工場法は、別のノート「社会問題の発生と労働運動」で扱います。)
0. 何を押さえるか
大正期の社会運動は、担い手ごとに団体と中心人物を組にして覚えます。
| 担い手 | 主な団体(結成年) | 中心人物 |
|---|---|---|
| 労働者 | 友愛会(1912)→ 日本労働総同盟(1921) | 鈴木文治 |
| 小作農 | 日本農民組合(1922) | 杉山元治郎・賀川豊彦 |
| 女性 | 青鞜社(1911)、新婦人協会(1920) | 平塚らいてう・市川房枝 |
| 被差別部落の人々 | 全国水平社(1922) | 西光万吉ら |
| 社会主義者 | 日本社会主義同盟(1920)、日本共産党(1922) | 堺利彦・山川均ら |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 友愛会は労資の協調を掲げて始まり、日本労働総同盟になるころには階級闘争を掲げる方向へ転じた
- 青鞜社は文学から出発した女性の団体、新婦人協会は女性の政治的な権利を求めた団体
- 日本共産党は非合法のうちに結成された。合法の政党として活動できたわけではない
1. 米騒動
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
大戦景気で物価が上がるなか、米の値段が急騰しました。民衆の怒りは全国に広がり、内閣を倒すほどの力を示します。
1918 年、米価が急騰した直接のきっかけは?
シベリア出兵を見越した米の買い占め・売り惜しみ
大戦景気のもとで都市の人口が増え、米の消費が増えていたことも背景にある。
米騒動は、どこで始まり、どう広がったか?
富山県の漁村の女性たちが米の県外への積み出しを止めようとしたことに始まり、全国の都市・農村・炭鉱に広がった
政府は軍隊を出動させて鎮めた。
米騒動の責任を取って退陣した内閣と、その次に成立した内閣は?
寺内正毅内閣が退陣し、原敬内閣が成立した
民衆の直接の行動が、政党内閣の誕生をもたらした。
2. 労働運動と農民運動
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
大戦期に工場労働者が増えると、労働争議も急増しました。農村では、小作料の引き下げを求める小作争議が広がります。
1912 年に鈴木文治が組織した労働者の団体は? 当初の方針は?
友愛会。労働者の修養と、資本家との協調(労資協調)を掲げた
のちに大日本労働総同盟友愛会をへて、1921 年に日本労働総同盟と改称し、階級闘争へと方針を強めた。
1920 年、日本で初めて開かれた労働者の祭典は?
メーデー
労働者が団結を示す場として、以後毎年開かれた。
小作争議が広がるなか、1922 年に杉山元治郎・賀川豊彦らが結成した全国的な農民の組織は?
日本農民組合
小作料の引き下げや耕作権の確立を求めた。小作争議は、地主に小作料の減免を求める形で争われた。
3. 社会主義運動の再開
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
大逆事件(1910 年)のあと社会主義者は活動を封じられていましたが、ロシア革命と米騒動をへて活動を再開します。学生や知識人の運動も起こりました。
1918 年、吉野作造の影響を受けた東京帝国大学の学生たちがつくった思想団体は?
新人会
のちに社会主義の研究へ傾き、労働運動や農民運動と結びついた。
1920 年に社会主義者が大同団結してつくり、翌年に禁止された団体は?
日本社会主義同盟
無政府主義者と共産主義者が加わっていたが、両者の対立も深まっていった。
1922 年、堺利彦・山川均らがコミンテルンの支部として結成した政党は? どのような立場だったか?
日本共産党。非合法のうちに結成された
結成の事実そのものが取り締まりの対象となる立場で、のちの治安維持法も共産主義の運動を強く意識していた。
4. 女性の運動と部落解放の運動
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
家制度のもとで政治的な権利を認められていなかった女性、いわれのない差別を受けていた被差別部落の人々も、自ら声を上げました。
1911 年に平塚らいてうらが結成し、「元始、女性は実に太陽であった」と宣言した文学団体は?
青鞜社(雑誌『青鞜』)
女性の自我の解放を訴え、「新しい女」と呼ばれた。女性の運動の出発点となった。
1920 年に平塚らいてう・市川房枝らが結成した新婦人協会は、何を求めたか? その成果は?
女性の政治的な権利。治安警察法の改正(1922 年)で、女性が政治演説会に参加できるようになった
女性の参政権そのものは認められなかった。
1922 年、被差別部落の人々が自らの力で差別からの解放を目ざして結成した団体は?
全国水平社
西光万吉らが中心となり、水平社宣言で「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と呼びかけた。