産業革命と交通の整備
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (イ) の「産業革命や交通の整備、産業構造の変容」に当たる部分です。
日本の産業革命は、1880 年代後半に紡績・製糸などの軽工業から始まり、日露戦争のころには重工業へ広がりました。鉄道網と海運の発達がそれを支え、第一次世界大戦期には工業国への変容が進みます。
0. 何を押さえるか
軽工業と重工業では、産業革命の時期も中心となった場所も違います。
| 軽工業の産業革命 | 重工業の産業革命 | |
|---|---|---|
| 時期 | 日清戦争のころ(1880 年代後半〜1890 年代) | 日露戦争のころ(1900 年代) |
| 中心の産業 | 紡績(綿糸)・製糸(生糸) | 製鉄・造船・機械 |
| 代表的な企業・工場 | 大阪紡績会社、各地の器械製糸工場 | 官営八幡製鉄所、日本製鋼所、三菱長崎造船所 |
| 原料・市場 | 綿花は輸入、生糸は主にアメリカへ輸出 | 鉄鉱石を中国の大冶鉄山から、石炭を筑豊から |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 紡績は綿花から綿糸をつくる、製糸は繭から生糸をつくる。紡績は原料の綿花を輸入に頼ったが、製糸は国内の繭を使い外貨を稼いだ
- 綿糸は 1890 年に生産量が輸入量を上回り、1897 年に輸出量が輸入量を上回った
- 鉄道は初め民営が伸び、1906 年の鉄道国有法で主要な民営鉄道が国有化された
1. 松方財政と企業勃興
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
西南戦争のあとの激しいインフレを収めるため、大蔵卿松方正義は紙幣を減らす緊縮政策をとりました。通貨が安定すると、会社を興す動きが一気に広がります。
1880 年代前半に松方正義が進めた財政政策の中身と、農村への影響は?
増税と歳出の削減で不換紙幣を整理した。深刻なデフレで米や繭の値段が下がり、没落して土地を手放す農民が増えた
土地を集めた地主が小作人に貸す寄生地主制が広がるきっかけにもなった。
1882 年に設立され、紙幣の発行を一手に担うことになった銀行は?
日本銀行
1885 年から銀と交換できる銀行券を発行し、日本は銀本位制を整えた。
1897 年の貨幣法で、日本の通貨制度はどう変わったか? その準備に何が充てられたか?
金本位制を確立した。日清戦争の賠償金の一部を準備に充てた
欧米の主要国と同じ金本位制に移り、貿易や外国資本の導入に有利になった。
2. 紡績と製糸
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
1880 年代後半から、鉄道と紡績を中心に会社の設立が相次ぎました(企業勃興)。これが日本の産業革命の始まりです。
渋沢栄一らが設立し、1883 年に開業して大規模な機械紡績に成功した会社は?
大阪紡績会社
イギリス製の紡績機械と蒸気機関を使い、昼夜 2 交代で操業した。この成功が紡績会社の設立ブームを呼んだ。
紡績業の発展を示す節目として、1890 年と 1897 年にそれぞれ何が起きたか?
1890 年に綿糸の生産量が輸入量を上回り、1897 年に輸出量が輸入量を上回った
中国・朝鮮への綿糸の輸出が伸びた。一方、原料の綿花はインドなどからの輸入に頼った。
製糸業で、手回しの座繰製糸に代わって広がった生産方法は?
器械製糸
日清戦争のころ生産量で座繰製糸を上回った。生糸は主にアメリカ向けに輸出され、日本の最大の輸出品として外貨を稼いだ。
3. 重工業の形成と財閥
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
軍備の拡張と日清戦争の賠償金を背景に、政府は鉄鋼の国産化を目ざしました。鉱山・造船・銀行などを多角的に経営する財閥も育ちます。
日清戦争の賠償金をもとに設立され、1901 年に操業を始めた官営の製鉄所は?
八幡製鉄所(福岡県)
鉄鉱石は中国の大冶鉄山から、石炭は近くの筑豊炭田から得た。
日露戦争のあと、1907 年に室蘭に設立された民間の兵器・鉄鋼会社は?
日本製鋼所
イギリスの兵器会社との合弁で、民間の重工業を代表する存在となった。
三井・三菱・住友・安田などの財閥が、傘下の企業を支配するためにつくった会社の形は?
持株会社(三井合名会社など)
一族が持株会社を通じて多くの分野の企業の株式を持ち、コンツェルンの形をとった。
4. 鉄道網と海運の広がり
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
交通の整備は、原料と製品を運び、全国の市場を結びつけました。明治の後半には、鉄道網が全国に広がり、外国航路も開かれます。
1881 年に華族の出資で設立され、民営鉄道の先がけとなった会社は?
日本鉄道会社
その成功をきっかけに民営鉄道の設立が相次ぎ、1889 年には営業距離で民営が官営を上回った。
1889 年に全線が開通した官営の幹線は?
東海道線(新橋・神戸間)
東京と大阪・神戸を結ぶ幹線がつながり、国内の物流が大きく変わった。
1906 年の鉄道国有法は何を定め、その目的は何だったか?
主要な民営鉄道を買収して国有化した。軍事上・経済上の必要から全国の輸送を一元的に管理するため
第 1 次西園寺公望内閣のときに成立した。
1885 年に設立され、1893 年にインドのボンベイへの航路を開いた海運会社は?
日本郵船会社
ボンベイ航路は、紡績業の原料であるインド綿花を運ぶための航路だった。政府は造船や航路を奨励する法律でも海運を助けた。
5. 大戦景気と産業構造の変容
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(イ)
第一次世界大戦で欧米からアジアへの輸出が止まると、日本は輸出を大きく伸ばしました。農業中心だった産業構造の変容が、ここで一気に進みます。
第一次世界大戦中の好景気(大戦景気)で、日本の国際収支の立場はどう変わったか?
大幅な輸出超過となり、債務国から債権国に転じた
海運業・造船業が大もうけし、「船成金」と呼ばれる人々も現れた。
大戦景気のなかで起きた産業構造の変容を示すできごととは?
工業生産額が農業生産額を上回り、重化学工業の比重も高まった
ドイツからの輸入が途絶えたことで薬品・染料などの化学工業が育った。水力発電と長距離送電で電力の利用も広がった。