明治維新と中央集権化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ア) の「明治維新」に当たります。
新政府は、藩に分かれていた土地と人々を国家が直接治める仕組みに改め、身分制を解いて、国民国家の形成を進めました。
0. 何を押さえるか
明治維新の中央集権化は、「方針を示す → 藩を名目上なくす → 藩を実際になくす → 身分と特権をなくす」の順に進みました。
| 年 | 出来事 | 中身 |
|---|---|---|
| 1868 | 五箇条の誓文 | 新政府の基本方針(公議世論・開国和親) |
| 1869 | 版籍奉還 | 藩主が土地と人民を天皇に返す。旧藩主は知藩事に |
| 1871 | 廃藩置県 | 藩を廃して府県を置き、府知事・県令を中央から派遣 |
| 1871 | 身分解放令 | えた・非人などの呼び名を廃し、身分・職業を平民と同じに |
| 1876 | 秩禄処分・廃刀令 | 士族の家禄を打ち切り、帯刀を禁止 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 版籍奉還では旧藩主がそのまま知藩事として藩を治めた。藩主の支配が本当に終わったのは廃藩置県から
- 五箇条の誓文は公家・大名向けの方針、五榜の掲示は民衆向けの禁令。五榜の掲示はキリスト教の禁止など旧幕府の方針を引き継いだ
- 四民平等でも華族・士族・平民の族籍は残った。士族の特権(家禄・帯刀)が失われたのは 1876 年
1. 新政府の方針
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
戊辰戦争のさなか、新政府は国の進む方向を内外に示しました。
1868 年、明治天皇が神々に誓う形で示した新政府の基本方針は?
五箇条の誓文
会議を開いて公議世論に基づいて政治を行うことや、知識を世界に求めることを掲げた。
五箇条の誓文の翌日、民衆に向けて掲げられた五榜の掲示は、どんな性格のものだったか?
徒党や強訴、キリスト教を禁じるなど、旧幕府の民衆統制を引き継ぐもの
キリスト教の禁止は、欧米の抗議を受けて 1873 年に高札が撤去されるまで続いた。
1868 年、天皇 1 代の間は元号を 1 つに限ると定めた制度は?
一世一元の制
同じ年に江戸を東京と改め、翌年には天皇が東京に移って事実上の首都になった。
2. 版籍奉還と廃藩置県
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
新政府の財源と軍事力は、はじめは諸藩に頼るしかありませんでした。
政府は 2 段階で藩をなくし、全国を直接治める中央集権の体制を築きます。
1869 年、薩摩・長州・土佐・肥前の藩主が先頭に立って、領地と領民を天皇に返したことを何という?
版籍奉還
「版」は土地、「籍」は人民の意味。旧藩主は知藩事に任じられ、藩の実態はほとんど変わらなかった。
1871 年、藩を廃止して府県を置き、中央から府知事・県令を派遣した改革は?
廃藩置県
知藩事は罷免されて東京に住むよう命じられた。当初は 3 府 302 県で、その年のうちに 3 府 72 県に整理された。
廃藩置県を断行するため、政府が薩摩・長州・土佐の 3 藩から集めた兵力は?
御親兵
藩の抵抗に備えて政府直属の軍事力を持ったうえで、一気に藩を廃止した。
廃藩置県のあと、政府の要職を占めたのはどの藩の出身者か?
薩摩・長州・土佐・肥前の出身者
太政官の下で、倒幕の中心だった 4 藩の出身者が実権を握った。のちに藩閥政府と呼ばれる。
3. 四民平等
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
江戸時代の身分制は、同じ義務を負う「国民」をつくるうえで妨げになりました。
政府は身分の枠をはずし、住む場所や職業を選ぶ自由を認めていきます。
四民平等の改革で、旧藩主・公家、旧武士、百姓・町人は、それぞれ何という族籍にされたか?
華族、士族、平民
平民にも苗字を名乗ることが許され、職業の選択や異なる身分の間の結婚も自由になった。
1871 年、えた・非人などの呼び名を廃止し、身分・職業を平民と同じとした布告は?
身分解放令(いわゆる解放令)
法の上では差別が否定されたが、社会の中の差別は根強く残った。
1872 年、新しい族籍に基づいて全国一律に作られた戸籍を何という?
壬申戸籍
戸籍によって国家が一人ひとりを把握できるようになり、徴兵や課税の基礎になった。
4. 士族の特権の廃止と士族の反乱
根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)
華族・士族に支払う家禄は、政府の支出の大きな部分を占めていました。
政府がこれを打ち切ると、職と誇りを失った士族の不満は反乱となって噴き出します。
1876 年、華族・士族への家禄の支給を、金禄公債証書を与えて打ち切った措置は?
秩禄処分
同じ年の廃刀令で帯刀も禁じられ、士族はすべての特権を失った。
1877 年、鹿児島の士族が西郷隆盛を立てて起こし、最大で最後の士族の反乱となった戦争は?
西南戦争
徴兵制による政府軍が鎮圧した。これ以後、政府への批判は武力から言論へと移っていく。
西南戦争より前に起きた士族の反乱を 2 つ挙げると?
佐賀の乱(1874 年、江藤新平)、神風連の乱(1876 年、熊本)
神風連の乱に続いて秋月の乱・萩の乱(前原一誠)も起きた。