江戸幕府の成立と支配の仕組み
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 B 近世までの日本とアジア (3) 近世の日本 ア (イ)「江戸幕府の成立と対外関係」のうち、江戸幕府の成立と大名統制、身分制と農村の様子。
0. どういう論点か
徳川家康が開いた江戸幕府は、約 260 年続きました。
長く続いた理由は、大名が幕府に逆らえない仕組みと、百姓が年貢を納め続ける仕組みの 2 つを作ったからです。
大名は 3 種類に分けて配置し、武家諸法度で縛り、参勤交代で力を削ぎました。
村では有力な百姓を村役人にして自分たちで治めさせ、五人組で互いに責任を負わせました。
その結果、大阪の陣のあとは大きな戦乱のない時期が長く続きます。
| 大名 | どういう家 | 置かれた場所 |
|---|---|---|
| 親藩 | 徳川家の一族(尾張・紀伊・水戸の三家など) | 重要な地 |
| 譜代大名 | 関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えた家 | 江戸の近くや要地 |
| 外様大名 | 関ヶ原の戦いのころから従った家 | 江戸から遠い地 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 譜代は古くからの家臣、外様は関ヶ原のころからの家(外様は遠くに置かれた)
- 参勤交代を制度にしたのは 3 代家光(初代家康ではない)
- 五人組は百姓の連帯責任の仕組み(村役人の名前ではない。村役人は庄屋〈名主〉・組頭・百姓代)
1. 江戸幕府の成立
根拠: 学習指導要領 歴-B-(3)-ア-(イ)
1600 年、徳川家康が石田三成らを破り、全国支配の実権を握った戦いは?
関ヶ原の戦い
豊臣秀吉の死後、豊臣方の大名が二つに割れて戦った。
徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いたのは何年?
1603 年
のち 1615 年の大阪の陣(大阪夏の陣)で豊臣氏を滅ぼした。
将軍を頂点とする幕府と、大名が治める藩とが、全国の土地と人々を支配した仕組みを何という?
幕藩体制
幕府は直接治める領地(幕領)と、京都・大阪・長崎などの重要な都市、主な鉱山を押さえた。
江戸幕府で、ふだん政治の中心となった役職は?
老中
譜代大名から選ばれた。臨時に置かれる最高職が大老。
2. 大名の統制
根拠: 学習指導要領 歴-B-(3)-ア-(イ)
大名のうち、関ヶ原の戦いのころから徳川家に従った大名を何という?
外様大名
江戸から遠い地に配置された。古くからの家臣である譜代大名と取り違えない。
大名が守るべききまりとして幕府が定め、城の修理や大名どうしの無断の結婚を禁じた法令は?
武家諸法度
違反した大名は、領地を取り上げられたり(改易)、減らされたりした。
大名が 1 年おきに江戸と領地を行き来し、妻子は江戸に住まわせる制度を何という?
参勤交代
3 代将軍徳川家光が武家諸法度に加えて制度にした。
参勤交代は、大名にとってどのような負担になった?
行列や江戸での生活に大きな費用がかかり、藩の財政が苦しくなった
大名の力が削がれるいっぽう、街道や宿場が整い、江戸と地方の間で文化が行き来するもとにもなった。
朝廷や公家の行動を統制するために、江戸幕府が定めた法令は?
禁中並公家諸法度
大名を縛る武家諸法度と対になる。朝廷も幕府の統制を受けた。
3. 身分制と農村の様子
根拠: 学習指導要領 歴-B-(3)-ア-(イ)
江戸時代の社会は、武士と、百姓・町人(職人・商人)などの身分に分かれていました。
人口の大部分は百姓で、ほかに百姓・町人とは別の身分とされ、厳しく差別された人々もいました。
江戸時代、名字を名のることや刀を差すことを認められ、支配する側に立った身分は?
武士
百姓・町人から年貢や税を取り立てる側。
江戸時代の村で、村の運営にあたった庄屋(名主)・組頭・百姓代をまとめて何という?
村役人
有力な本百姓がなり、年貢を集めて納めるなど、村の自治を担った。
百姓を数戸ずつの組にして、年貢の納入や犯罪の防止に連帯して責任を負わせた仕組みは?
五人組
1 戸が年貢を納めなければ組の全員が責任を負う。互いに監視させる仕組みでもあった。
土地を持って年貢を納める百姓と、土地を持たず小作などをする百姓を、それぞれ何という?
本百姓と水のみ百姓
村の政治に参加できたのは本百姓。年貢は主に米で納めた。
江戸幕府の支配の仕組みが整った結果、大阪の陣のあとの日本はどのような時期を迎えた?
大きな戦乱のない時期が長く続いた
島原・天草一揆(1637 年)ののちは、幕末まで大規模な戦いがなかった。平和のなかで産業や文化が発達していく。