欧米のアジア進出
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 C 近現代の日本と世界 (1) 近代の日本と世界 ア (ア)「欧米における近代社会の成立とアジア諸国の動き」。
0. どういう論点か
産業革命で大量の製品をつくれるようになった欧米の国々は、
製品を売る市場と、原料を手に入れる土地を求めてアジアへ進出しました。
その先頭に立ったのが、最初に産業革命を成しとげたイギリスです。
アジアの国々は黙って従ったわけではなく、各地で抵抗が起きました。
しかし近代的な武器を持つ欧米の軍に抑えられ、中国は不平等な条約を結ばされ、インドは植民地にされていきます。
この様子は日本にも伝わり、幕府や人々に強い危機感を与えました(→ 開国)。
| 国・地域 | 欧米の進出 | アジア側の動き |
|---|---|---|
| 中国(清) | アヘン戦争で敗れ、南京条約(1842) | 太平天国(1851〜) |
| インド | イギリス東インド会社が支配を広げる | インド大反乱(1857) → イギリスが直接支配 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 三角貿易でインドから清へ運ばれたのはアヘン(清からイギリスへは茶、イギリスからインドへは綿織物)
- 南京条約で香港を譲ったのはイギリスに対して(相手国を取り違えない)
- 太平天国は中国、インド大反乱はインド(どちらも欧米や支配者への抵抗だが、場所が違う)
1. 三角貿易とアヘン戦争
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(ア)
イギリスは清から茶を大量に買っていましたが、清に売れる品物が少なく、支払いの銀が流れ出ていました。
そこでインドで栽培したアヘン(麻薬)を清に密輸し、銀を取り戻そうとしました。
19 世紀前半、イギリス・インド・清の間で行われた三角貿易で、インドから清へ運ばれた品物は?
アヘン
イギリスは清から茶を買い、インドへ綿織物を売り、インドのアヘンを清に密輸した。
清がアヘンの密輸を厳しく取り締まったことをきっかけに、1840 年に始まったイギリスと清の戦争は?
アヘン戦争
近代的な軍艦と武器を持つイギリスが勝った。
アヘン戦争の講和条約として 1842 年に結ばれた条約は?
南京条約
清は香港をイギリスに譲り、上海など 5 港を開き、賠償金を支払った。
南京条約とそれに続く取り決めで、清が認めさせられた不平等な内容を 2 つ挙げると?
イギリスに領事裁判権を認めた・関税を自主的に決める権利(関税自主権)を失った
のちに日本が欧米と結ぶ条約にも同じ 2 つの不平等が入る。
2. 中国の抵抗
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(ア)
アヘン戦争後、重い税に苦しむ人々を率いて洪秀全が清を倒そうと起こし、1851 年に建国した国は?
太平天国
土地を平等に分けることなどを掲げたが、清の軍と外国の軍に鎮圧された。
太平天国の運動は、何に対する抵抗として起こった?
清の支配と、戦争の賠償などで重くなった税への抵抗
アヘン戦争の敗北で清の力が弱まっていたことが背景にある。
3. イギリスのインド支配
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(ア)
イギリスの機械でつくられた安い綿織物が大量に流れ込んだことで、インドで打撃を受けた産業は?
手工業の綿織物業
インドは綿織物の輸出国から、綿花(原料)を輸出してイギリスの製品を買う国に変えられた。
1857 年、イギリス東インド会社に雇われたインド人の兵士の反乱をきっかけに、インド各地に広がった反乱は?
インド大反乱
イギリスはこれを鎮圧し、ムガル帝国を滅ぼした。
インド大反乱のあと、イギリスはインドをどのように支配するようになった?
東インド会社を解散し、イギリス政府が直接支配した
1877 年にはイギリス国王を皇帝とするインド帝国がつくられ、インドは完全に植民地となった。
4. 東南アジア
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(ア)
19 世紀の終わりまでに、東南アジアの大部分はイギリス・フランス・オランダなどの植民地になりました。
19 世紀、東南アジアの国々が次々と欧米の植民地になる中で、独立を保った国は?
タイ
イギリスとフランスの勢力の間にあり、両国の対立を利用して独立を守った。