明治維新の改革
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 C 近現代の日本と世界 (1) 近代の日本と世界 ア (イ)「明治維新と近代国家の形成」。
0. どういう論点か
新政府がめざしたのは、欧米に負けない国をつくり、独立を守ることでした。
そのために国を豊かにし(富国)、強い軍隊を持つ(強兵)必要があり、
それを支えるには、全国を中央からまとめて治め、人・税・兵を国が直接つかむ仕組みが要りました。
学制・徴兵令・地租改正の 3 つは、どれも「国が国民一人ひとりを直接つかむ」改革です。
藩や身分を通していた江戸時代の仕組みを、ここで取り払っています。
| 改革 | 年 | 中身 | 取り違えやすい相手 |
|---|---|---|---|
| 版籍奉還 | 1869 | 藩主が土地と人民を天皇に返す(藩主はそのまま治める) | 廃藩置県 |
| 廃藩置県 | 1871 | 藩を廃止して府県を置き、中央から役人を送る | 版籍奉還 |
| 学制 | 1872 | 6 歳以上の男女すべてに小学校教育 | — |
| 徴兵令 | 1873 | 満 20 歳以上の男子に兵役 | — |
| 地租改正 | 1873 | 土地の持ち主が、地価の 3 % を現金で納める | 班田収授(国が土地を与え、収穫の稲を納める) |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 版籍奉還では藩は残った。藩を無くしたのは廃藩置県
- 地租改正は「土地の持ち主」が「地価」を基準に「現金」で納める(班田収授の租は、与えられた口分田の収穫から稲を納める)
- 富国強兵が目標、殖産興業はそのための産業を育てる政策
1. 新しい政治の方針
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(イ)
1868 年、新政府が「広く会議を開いて政治は人々の意見によって決める」などの方針を、天皇が神に誓う形で示したものは?
五箇条の御誓文
同じ年、江戸を東京と改め、年号を明治とした。
2. 中央集権の国づくり
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(イ)
1869 年、藩主に土地(版)と人民(籍)を天皇に返させたことを何という?
版籍奉還
藩主はそのまま元の藩を治めたので、実際の支配はあまり変わらなかった。
1871 年、藩を廃止して府と県を置き、中央から府知事・県令を送って治めさせた改革は?
廃藩置県
これで全国を政府が直接治める中央集権の仕組みが整った。
明治政府の実権をにぎった、倒幕の中心となった 4 つの藩の出身者による政府を何という?
藩閥政府(薩摩・長州・土佐・肥前)
のちの自由民権運動は、この藩閥政府への批判として起こる。
3. 身分制度の廃止
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(イ)
明治政府は、江戸時代の身分をどのように改めた?
皇族・華族(公家・大名)・士族(武士)・平民(百姓・町人)に分け、平民にも名字・職業・結婚・住む場所の自由を認めた
これを「四民平等」という。
1871 年、えた・ひにんとされてきた人々の呼び名を廃止し、身分も職業も平民と同じとした布告を何という?
解放令
制度の上では平等になったが、生活の中での差別は根強く残った。
4. 学制・兵制・税制の改革
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(イ)
1872 年に公布され、6 歳以上の男女すべてに小学校教育を受けさせることにした制度は?
学制
授業料は家庭の負担で、子どもは働き手でもあったため、はじめは通えない子どもも多かった。
1873 年に出され、満 20 歳以上の男子に兵役の義務を課した法令は?
徴兵令
武士に代わって、国民による軍隊がつくられた。はじめは戸主や長男などの免除があった。
1873 年から行われた地租改正で、税を納めることになったのは誰で、何を基準に、どのように納めた?
土地の所有者が、地価の 3 % を、現金で納めた
土地の所有者と地価は、政府が発行した地券に書かれた。
政府が、米で納める年貢をやめて地租改正を行ったのはなぜか?
豊作・不作に関係なく、毎年決まった額の税収を得るため
地租改正で政府の財政は安定したが、農民の負担は江戸時代とあまり変わらなかった。
地租改正に反対する一揆が各地で起こったため、政府は 1877 年に税の率をどう改めた?
地価の 3 % から 2.5 % に引き下げた
律令国家の租と、明治の地租は、税の基準がどう違う?
租は与えられた口分田の収穫(稲)、地租は所有する土地の地価(現金)
租を課した班田収授は、国が土地を与える仕組み。地租改正は土地の私有を認めたうえで課税した。
5. 富国強兵と殖産興業
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(イ)
経済を発展させて国を豊かにし、軍隊を強くすることをめざした明治政府の目標は?
富国強兵
学制・徴兵令・地租改正は、この目標を支える改革だった。
政府が欧米の技術を取り入れて近代的な産業を育てようとした政策と、そのために官営でつくった工場を何という?
殖産興業、官営模範工場
外国人技術者を招き、民間の手本となるように政府自らが工場を経営した。
1872 年、フランスの技術を取り入れて群馬県に建てられた官営模範工場は?
富岡製糸場
生糸は日本の最大の輸出品で、その品質を高め、生産を増やすのが目的だった。
1872 年、日本で最初の鉄道が開通した区間は?
新橋 — 横浜
前年には飛脚に代わる郵便制度も始まり、交通・通信の整備が進んだ。