みならいノート

中学社会 2027年度版

日本の産業革命と近代文化

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領 歴史的分野 C 近現代の日本と世界 (1) 近代の日本と世界 ア (エ)「近代産業の発展と近代文化の形成」。

0. どういう論点か

日本の産業革命は、イギリスと同じく糸をつくる軽工業から始まり、そのあと鉄をつくる重工業へ進みました。
順番の理由は単純で、軽工業は小さな元手と人手で始められ、重工業は大きな資本と国の力が要るからです。
日清戦争の前後に軽工業が、日露戦争の前後に重工業が伸びた、と戦争と組にして覚えると入れ替わりません。

工業が伸びると、その影で新しい問題が生まれます。工場で長く安く働かされる人々(労働問題)と、工場や鉱山が出す害(公害)です。

文化も同じ時期に形を変えました。ただし欧米のものに置き換わったのではなく、
それまでの日本の文化の上に欧米の文化を取り入れてできたのが近代文化です。

軽工業 重工業
時期 1880 年代後半〜日清戦争の前後 日清戦争後〜日露戦争の前後
中心 紡績(綿糸)・製糸(生糸) 製鉄・造船・機械
代表 大阪紡績会社、各地の製糸工場 八幡製鉄所(1901 年操業開始)
取り違えやすい組 見分け方
紡績と製糸 紡績=綿花から綿糸、製糸=繭から生糸
富岡製糸場と八幡製鉄所 富岡=明治の初めの官営模範工場(製糸)、八幡=日清戦争の賠償金をもとにした官営の製鉄所
北里柴三郎と野口英世 北里=破傷風の血清療法・ペスト菌、野口=黄熱病の研究
夏目漱石と森鴎外 漱石=『吾輩は猫である』『坊っちゃん』、鴎外=『舞姫』

引っかけの分かれ目は次の 3 つ。

1. 軽工業から重工業へ

根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(エ)

生糸は明治を通じて最大の輸出品で、外国から機械や原料を買うためのお金を稼ぎました。
綿糸は、輸入した綿花を大きな工場の機械で糸にしたもので、はじめは輸入品でしたが、やがて輸出するまでになります。

日本で産業革命が最初に進んだのは、どんな分野の工業か?

紡績・製糸などの軽工業(せんい工業)

1880 年代の後半から、日清戦争の前後にかけて進んだ。重工業はそのあと。

紡績業と製糸業は、それぞれ何から何をつくる工業か?

紡績=綿花から綿糸、製糸=繭から生糸

生糸は明治を通じて最大の輸出品だった。

日清戦争の賠償金の一部を使って建てられ、1901 年に操業を始めた官営の工場は?

八幡製鉄所

福岡県(北九州)。近くの筑豊炭田の石炭と、中国から運んだ鉄鉱石を使った。日本の重工業の出発点。

日本で重工業が大きく伸びたのは、どの戦争の前後か?

日露戦争の前後

軽工業は日清戦争の前後、重工業は日露戦争の前後、と組で覚える。

三井・三菱・住友・安田のように、銀行・鉱山・貿易などさまざまな業種を一族で経営し、日本の経済を動かすようになった企業の集団を何という?

財閥

政府と結びついて事業を広げた。戦後、占領下の改革で解体される。

2. 労働問題と公害

根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(エ)

工場で働いたのは、農村から出てきた若い女性(女工)が多く、長い時間、低い賃金で働かされました。
労働者は労働組合をつくって改善を求めるようになります。
農村では土地を手放して小作人になる人が増え、地主との差が広がりました。

労働者を守るため 1911 年に制定され、12 歳未満の子どもを働かせることを禁止するなどした法律は?

工場法

守られる範囲は小さな工場を除くなど限られていた。

栃木県で、銅山から流れ出た鉱毒が渡良瀬川流域の田畑や住民に被害を与えた事件は?

足尾銅山鉱毒事件

日本の公害問題の原点とされる。

足尾銅山鉱毒事件で、衆議院議員として被害を訴え、議員を辞めて天皇に直訴しようとした人物は?

田中正造

鉱山の操業の停止と、被害を受けた人々の救済を求めた。

3. 教育の普及と学問・芸術

根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(エ)

学制(1872 年)で始まった小学校は、はじめ授業料の負担もあって通う子どもが少なかったのですが、
明治の終わりには就学率が 90 % を超えました(1900 年代の初め)。字が読める人が増えたことが、新聞や小説が広まる土台になります。

近代文化の特徴は、欧米の文化を取り入れつつ、日本の伝統を捨てなかったところにあります。
美術では、洋画が学ばれる一方で、日本画の良さを見直す動きが起こりました。

1907 年に、義務教育の年数はどうなったか?

6 年に延長された

それまでは 4 年。就学率が大きく上がったことを受けての延長。

破傷風の血清療法を発見し、ペスト菌も発見した細菌学者は?

北里柴三郎

同じ研究所で学んだ志賀潔は赤痢菌を発見した。

アフリカで黄熱病を研究し、その研究の途中で自らも黄熱病にかかって亡くなった細菌学者は?

野口英世

北里柴三郎(破傷風・ペスト菌)と取り違えないこと。

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を書いた作家と、『舞姫』を書いた作家は?

夏目漱石(吾輩は猫である・坊っちゃん)、森鴎外(舞姫)

どちらも欧米の文学に学びながら、日本語で近代的な小説を書いた。

フランスで学んだ明るい画風の洋画を広め、「湖畔」を描いた画家は?

黒田清輝

一方、岡倉天心とフェノロサは日本の伝統的な美術の価値を見直し、横山大観らが新しい日本画をひらいた。

「荒城の月」「花」などを作曲し、西洋の音楽の技法で日本の歌をつくった作曲家は?

滝廉太郎

学校で教える唱歌を通じて、西洋の音楽が広まった。

近代の日本の文化は、どのようにして形づくられたか?

伝統的な文化の上に、欧米の文化を受け入れて形づくられた

日本画の見直しや、日本語による近代小説のように、伝統を捨てずに新しいものを取り込んだ。

このノートの 15 問を、暗記カードで復習できます

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答えを隠して出題し、忘れそうなころにもう一度出します。

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