大正デモクラシーと大衆文化
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 C 近現代の日本と世界 (1) 近代の日本と世界 ア (オ)「第一次世界大戦前後の国際情勢と大衆の出現」のうち、我が国の国民の政治的自覚の高まりと文化の大衆化。
0. どういう論点か
大正時代(1912〜1926 年)には、政治を一部の人の手から国民の側へ引き寄せようとする動きが広がりました。これを大正デモクラシーと呼びます。
中身は 3 つに分けると見通しが立ちます。
- 政党政治の発達(藩閥の内閣を倒す護憲運動 → 政党が内閣をつくる)
- 民主主義的な思想の普及(吉野作造の民本主義)
- 社会運動の展開(労働者・農民・部落差別を受けてきた人々・女性が声を上げる)
教育が行き渡って字を読める人が増え、新聞・雑誌・ラジオで同じ情報を多くの人が受け取るようになったことが、この動きを支えました。
ただし普通選挙法と同じ年に治安維持法がつくられたように、広げる動きと取り締まる動きが並んで進んだ点を落とさないこと。
| 取り違えやすい組 | 見分け方 |
|---|---|
| 普通選挙法と治安維持法 | どちらも 1925 年。普選=選挙権を広げる、治安維持=共産主義などの運動を取り締まる |
| 民本主義と民主主義 | 民本主義は、主権がどこにあるかを問わずに、政治を民衆のために民衆の考えで行うことを説いた |
| 平塚らいてうと市川房枝 | 青鞜社=平塚らいてう、新婦人協会=平塚らいてうと市川房枝 |
| 選挙権(衆議院) | 条件 |
|---|---|
| 1889 年の選挙法 | 直接国税 15 円以上を納める満 25 歳以上の男子 |
| 1925 年の普通選挙法 | 納税額の制限をなくし、満 25 歳以上のすべての男子 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 1925 年の普通選挙法でも女性には選挙権がない(女性の参政権は戦後)
- 原敬は「最初の本格的な政党内閣」(最初の政党内閣ではなく、閣僚のほとんどを自分の政党から出した点が本格的)
- 米騒動のきっかけはシベリア出兵を見こした米の買い占め
1. 護憲運動と民本主義
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(オ)
1912〜13 年、藩閥の桂太郎内閣に反対し、憲法に基づく政治を守れと唱えて内閣を倒した運動は?
第一次護憲運動
尾崎行雄・犬養毅らが中心となり、民衆もこれを支えた。
主権がどこにあるかは問わずに、政治の目的を民衆の幸福におき、政策は民衆の意向によって決めるべきだと説いた吉野作造の考えは?
民本主義
普通選挙と、議会で多数を占める政党が内閣をつくる政治を主張した。
主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治するという、美濃部達吉の学説は?
天皇機関説
民本主義とともに、政党政治を支える考え方になった。
2. 米騒動と政党内閣
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(オ)
1918 年、シベリア出兵を見こした米の買い占めで米の値段が急に上がり、富山県から全国に広がった騒ぎは?
米騒動
軍隊まで出動して鎮めたが、責任をとって寺内正毅内閣が退陣した。
米騒動のあとに首相となり、陸軍・海軍・外務以外の大臣をすべて立憲政友会の党員でそろえた人物は?
原敬
最初の本格的な政党内閣。爵位を持たなかったので「平民宰相」と呼ばれた。
1925 年に制定された普通選挙法で、選挙権を持つようになったのはどんな人々か?
満 25 歳以上のすべての男子
納税額による制限がなくなり、有権者は約 4 倍に増えた。女性の選挙権はまだ認められない。
普通選挙法と同じ 1925 年に制定され、共産主義などの運動を取り締まった法律は?
治安維持法
天皇を中心とする国のあり方(国体)の変革や、私有財産制度の否定を目的とする結社を処罰した。のちに社会運動全体の取り締まりに使われる。
3. 広がる社会運動
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(オ)
大戦景気で工場の労働者が増える一方、物価が上がって暮らしは苦しくなりました。
米騒動で民衆の力が示されたこともあって、さまざまな立場の人々が団体をつくって声を上げるようになります。
労働者が賃金の引き上げや労働時間の短縮を求めて起こした争いと、小作人が小作料の引き下げを求めて地主と争ったものを、それぞれ何という?
労働争議(労働者と経営者)、小作争議(小作人と地主)
1922 年には、小作人の全国的な組織として日本農民組合がつくられた。
1922 年、部落差別に苦しんできた人々が、自らの力で差別からの解放を目指して結成した団体は?
全国水平社
政府の同情や恩恵に頼らず、自分たちの手で差別をなくすことを宣言した。
1911 年に青鞜社をつくり、「元始、女性は太陽であった」と唱えて女性の解放を訴えた人物は?
平塚らいてう
1920 年には市川房枝らと新婦人協会をつくり、女性の政治活動の自由などを求めた。
4. 大衆文化
根拠: 学習指導要領 歴-C-(1)-ア-(オ)
都市ではサラリーマン(会社員)や、タイピスト・電話交換手・バスの車掌などとして働く女性が増え、洋服や洋食、文化住宅が広まりました。
新聞や雑誌の発行部数が大きく伸び、安い値段の全集(円本)も出て、文化を楽しむ人の層が一気に広がりました。これが文化の大衆化です。
1925 年に放送が始まり、全国に同じ情報を届けるようになった新しいメディアは?
ラジオ(ラジオ放送)
新聞・雑誌とあわせて、ニュースやスポーツ・音楽が多くの人に届くようになった。
大正時代に、新聞・雑誌・ラジオ・映画などを通じて文化が一部の人のものではなく多くの人々のものになったことを何という?
文化の大衆化(大衆文化の広まり)
教育が行き渡り、字を読める人が増えたことが土台にある。
1923 年 9 月 1 日、東京・横浜を中心に大きな被害を出した地震災害は?
関東大震災
火災で多くの建物が焼け、混乱の中で朝鮮人や社会主義者が殺される事件も起きた。