南北朝の争乱と室町幕府
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 B 近世までの日本とアジア (2) 中世の日本 ア (イ)『武家政治の展開と東アジアの動き』。
0. どういう論点か
鎌倉幕府を倒したのは天皇でしたが、天皇中心の政治は長続きしませんでした。
倒幕に加わった武士たちが、自分たちを重んじない政治に不満を持ったからです。
武士の支持を集めた足利尊氏が新しい幕府を開き、朝廷は二つに割れます。
この争乱の中で、国ごとの守護は国内の武士を家来にして力を強め、守護大名になっていきました。
室町幕府は、この守護大名たちの連合の上に立つ政権です。
| 役職 | 幕府 | 誰が就いたか |
|---|---|---|
| 執権 | 鎌倉幕府 | 北条氏がほぼ独占 |
| 管領 | 室町幕府 | 有力な守護大名(細川・斯波・畠山)が交代で就く |
| 朝廷 | 置かれた場所 | 立てた人 |
|---|---|---|
| 北朝 | 京都 | 足利尊氏が立てた天皇 |
| 南朝 | 吉野(奈良県) | 後醍醐天皇 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 室町幕府を開いたのは足利尊氏、南北朝を統一したのは足利義満
- 南朝は吉野、北朝は京都(南朝が後醍醐天皇の側)
- 将軍の補佐役は、鎌倉は執権・室町は管領
1. 鎌倉幕府の滅亡と建武の新政
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(イ)
1333 年、足利尊氏や新田義貞らの武士を味方につけて鎌倉幕府を倒した天皇は?
後醍醐天皇
楠木正成など、幕府に不満を持つ新しい武士も天皇の側について戦った。
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が始めた、天皇中心の新しい政治を何という?
建武の新政
公家を重んじる政治だったため武士の不満が高まり、2 年ほどでくずれた。
建武の新政が短い期間でくずれたのはなぜか?
公家を重んじる政治で、倒幕に力を貸した武士の不満が高まったから
武士の政治の復活を求める声を背に、足利尊氏が兵を挙げた。
2. 南北朝の動乱
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(イ)
足利尊氏が京都に別の天皇を立てたため、後醍醐天皇が移った場所は?
吉野(奈良県)
吉野の朝廷を南朝、京都の朝廷を北朝という。
京都の北朝と吉野の南朝が争った、約 60 年の時代を何という?
南北朝時代
全国の武士が二つに分かれて争った。
1338 年、北朝から征夷大将軍に任じられ、京都に幕府を開いた人物は?
足利尊氏
のちに 3 代将軍の足利義満が京都の室町に御所を建てたので、室町幕府と呼ばれる。
3. 室町幕府の仕組み
根拠: 学習指導要領 歴-B-(2)-ア-(イ)
1392 年に南北朝を統一し、室町幕府の力を最も強めた 3 代将軍は?
足利義満
京都の室町に「花の御所」と呼ばれる邸宅を建てた。日明貿易を始め、金閣を建てた人物でもある。
南北朝の争乱のころ、国内の武士を家来にし、国を自分の領地のように支配するようになった守護を何という?
守護大名
幕府から年貢の取り立てなどの権限を広く認められ、力を強めた。
室町幕府で、将軍を補佐する役職を何という?
管領
有力な守護大名の細川・斯波・畠山の三氏が交代で就いた。鎌倉幕府の執権と取り違えないこと。
室町幕府が、関東の支配のために置いた機関は?
鎌倉府
長官を鎌倉公方といい、足利氏の一族が就いた。のちに京都の幕府と対立するようになる。