冷戦と国際社会への復帰
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領 歴史的分野 C 近現代の日本と世界 (2) 現代の日本と世界 ア (ア)『日本の民主化と冷戦下の国際社会』。
0. どういう論点か
第二次世界大戦の後、世界は平和のために国際連合をつくりました。
ところが戦勝国のアメリカとソ連が対立し、世界は二つの陣営に分かれます。
直接には戦わないが、にらみ合いが続く——これが冷戦です。
日本の戦後は、この冷戦の中で進みます。
朝鮮戦争をきっかけにアメリカは日本を西側の一員として早く独立させようとし、
日本は平和条約で独立を回復しました。一方、ソ連とは別に国交を回復する必要があり、
それが済んで初めて国際連合に加盟できました。
| 陣営 | 中心の国 | 経済の仕組み | 軍事同盟 |
|---|---|---|---|
| 西側 | アメリカ | 資本主義 | 北大西洋条約機構(NATO) |
| 東側 | ソ連 | 社会主義(共産主義) | ワルシャワ条約機構 |
| 年 | 出来事 | 日本にとっての意味 |
|---|---|---|
| 1951 年 | サンフランシスコ平和条約 | 翌年に独立を回復 |
| 1951 年 | 日米安全保障条約 | 独立後もアメリカ軍が日本にとどまる |
| 1956 年 | 日ソ共同宣言 | ソ連と国交回復 → 国際連合に加盟 |
引っかけの分かれ目は次の 3 つ。
- 平和条約(1951 年)では国連に入れず、日ソ共同宣言(1956 年)の後に加盟した(ソ連が反対しなくなったため)
- 平和条約と日米安全保障条約は同じ日に結ばれた
- 警察予備隊は朝鮮戦争がきっかけで、のちに自衛隊になった
1. 国際連合と冷戦
根拠: 学習指導要領 歴-C-(2)-ア-(ア)
1945 年、第二次世界大戦の反省から、世界の平和と安全を守るためにつくられた国際組織は?
国際連合(国連)
本部はニューヨーク。第一次世界大戦後の国際連盟が戦争を防げなかった反省に立つ。
国際連合の安全保障理事会で、常任理事国だけが持つ、一国でも反対すれば決定できない権利は?
拒否権
常任理事国は、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連(今はロシア)・中国の 5 か国。
第二次世界大戦後、アメリカを中心とする西側とソ連を中心とする東側が、直接戦わずに対立した状態を何という?
冷戦(冷たい戦争)
ドイツは東西二つの国に分かれ、ヨーロッパでも陣営ごとに軍事同盟がつくられた。
1949 年、毛沢東を主席として中国に成立した国は?
中華人民共和国
内戦に敗れた国民党は台湾に移った。
1950 年、北朝鮮が韓国に攻めこんで始まった戦争は?
朝鮮戦争
アメリカを中心とする国連軍が韓国を、中国の義勇軍が北朝鮮を支援した。1953 年に休戦。
朝鮮戦争のとき、アメリカ軍が日本で大量の物資を買い付けたことで日本の経済が回復した。これを何という?
特需(朝鮮特需)
戦後の日本の経済の復興が、これをきっかけに進んだ。
朝鮮戦争が始まった 1950 年、GHQ の指令でつくられた組織で、のちに自衛隊になったものは?
警察予備隊
保安隊を経て、1954 年に自衛隊となった。
2. 独立の回復と国際社会への復帰
根拠: 学習指導要領 歴-C-(2)-ア-(ア)
冷戦が深まると、アメリカの占領政策は、日本の民主化から経済の復興と西側の一員としての独立へと重点を移しました。
1951 年、日本が 48 か国と結び、翌年に独立を回復した条約は?
サンフランシスコ平和条約
吉田茂内閣が調印した。ソ連などは調印しなかった。沖縄・奄美・小笠原はアメリカの統治下に残された。
サンフランシスコ平和条約と同じ日に結ばれ、独立後もアメリカ軍が日本にとどまることを認めた条約は?
日米安全保障条約
日本は西側の一員として、冷戦の中での立場を固めた。
1955 年に結成され、以後長く政権をにぎった政党は?
自由民主党
野党第一党の社会党と向き合うこの体制を 55 年体制という。
1956 年、日本とソ連の国交を回復させた宣言は?
日ソ共同宣言
鳩山一郎内閣のとき。北方領土の問題は解決せず、平和条約は今も結ばれていない。
1956 年、日本が国際連合に加盟できたのはなぜか?
日ソ共同宣言でソ連と国交を回復し、ソ連が加盟に反対しなくなったから
安全保障理事会で拒否権を持つソ連が、それまで日本の加盟に反対していた。