隋・唐帝国
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」B (3) ア (ア) の「秦・漢と遊牧国家,唐と近隣諸国の動向などを基に,東アジアと中央ユーラシアの歴史的特質を理解すること」。
このノートでは、約 370 年ぶりに中国を統一した隋と、それを受け継いで東アジアの中心となった唐の統治体制を扱います。唐と近隣諸国の関係は次のノートで扱います。
0. 何を押さえるか
隋と唐は、北朝の制度(均田制・府兵制)を受け継ぎ、それを律令としてまとめ上げました。
唐の前半はこの律令体制が機能しましたが、8 世紀には土地制度と兵制が崩れ、安史の乱を境に税制も兵制も切りかわります。
| 唐の前半(律令体制) | 唐の後半(8 世紀後半以降) | |
|---|---|---|
| 土地 | 均田制(農民に土地を割り当てる) | 均田制が崩れ、大土地所有(荘園)が広がる |
| 税 | 租調庸制(成年男子一人ずつに同じ額) | 両税法(780 年、資産に応じて年 2 回) |
| 兵 | 府兵制(農民を兵にする) | 募兵制、辺境には節度使 |
| 転機 | ― | 安史の乱(755〜763 年) |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 科挙を始めたのは隋。唐でも続いたが、唐では貴族の力がなお強かった
- 租調庸制は人(成年男子)に課す税、両税法は実際に持っている資産に課す税。均田制の崩壊で人に課すしくみが成り立たなくなった
- 三省は中書省(起草)・門下省(審議)・尚書省(執行)、六部は尚書省の下にある
1. 隋の統一
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ア)
北周の外戚だった楊堅(文帝)が 581 年に隋を建て、589 年に南朝の陳を滅ぼして中国を統一しました。
隋の文帝が、九品中正にかえて始めた官吏登用法は?
科挙(学科試験による選抜)
家柄ではなく試験の成績で役人を選ぼうとするもので、門閥貴族の力をおさえるねらいがあった。
隋の煬帝が完成させた大運河は、どことどこを結んだか?
華北と江南
経済の中心になりつつあった江南の物資を北方に運ぶためのもので、のちの王朝の経済を支えた。
隋がわずか 2 代で滅んだ原因として押さえることは?
大運河の建設などの重い負担に加え、高句麗遠征に失敗して各地で反乱が起きたから
618 年に隋は滅び、李淵が唐を建てた。
2. 唐の律令と三省六部
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ア)
唐は 618 年に李淵(高祖)が建て、長安を都としました。2 代目の太宗(李世民)の時代に統治のしくみが整えられ、その治世は「貞観の治」とたたえられます。
唐の法体系で、律と令はそれぞれ何を定めたものか?
律は刑法、令は行政のしくみや税・土地などの制度
律令を補ったり改めたりする格、施行の細則である式とあわせて、唐の法体系をなした。
唐の中央官制である三省の役割分担は?
中書省が詔勅を起草し、門下省が審議し、尚書省が執行する
尚書省の下に、実務を分担する六部(吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部)が置かれた。門下省には貴族の意見が反映された。
唐が征服した周辺地域を治めるために置いた役所と、その統治の方法は?
都護府を置き、現地の有力者にその地域を任せて間接的に治めた(羈縻政策)
直接の郡県支配ではなく、現地の支配者を通じてゆるやかに治めるのが特徴だった。
3. 均田制・租調庸制・府兵制
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ア)
唐の前半の国家は、農民に土地を割り当て、その農民から税と兵士を得るという、土地・税・兵を一体にしたしくみに支えられていました。
唐の租調庸制で、租・調・庸はそれぞれ何を納める税か?
租は穀物、調は絹や麻布などの特産物、庸は労役(またはそのかわりの絹など)
均田制で土地を割り当てられた成年男子に、一律に課された。
唐の府兵制とは、どのような兵制か?
均田制で土地を得た農民の中から兵士を選び、農閑期に訓練して都の警備や辺境の防衛にあてる兵制
兵士は自分で武器などを用意したため負担が重く、逃げ出す農民が増えて崩れていった。
唐の府兵制が崩れたあと、兵士を雇って集める兵制に切りかわった。これを何という?
募兵制
辺境の募兵集団を率いたのが節度使で、やがて軍事だけでなく行政・財政の権限まで握るようになる。
4. 安史の乱と両税法
根拠: 学習指導要領 世界史探究-B-(3)-ア-(ア)
玄宗の時代の前半は「開元の治」と呼ばれる安定期でしたが、後半には政治が乱れ、節度使の反乱が起きました。
755 年、節度使の安禄山とその部下の史思明が起こした反乱は?
安史の乱
唐はウイグルの援軍を得て 763 年にようやく鎮めた。以後、各地の節度使が自立し、唐の中央の力は弱まった。
780 年に唐が租調庸制にかえて採用した税制は?
両税法
実際に住んでいる土地で、所有する土地や財産に応じて夏と秋の年 2 回納めさせた。人でなく資産に課す税への転換である。
両税法への切りかえが必要になった背景は?
均田制が崩れて農民が土地を離れ、大土地所有が広がり、人ごとに一律に課す租調庸制が成り立たなくなったから
両税法は、土地の私有を事実上認めたうえで税を取るしくみで、以後の王朝の税制の基本になった。
875 年に始まり、唐の滅亡を決定づけた農民反乱は?
黄巣の乱
塩の密売人の反乱に始まり、全国に広がった。その後、節度使の朱全忠が 907 年に唐を滅ぼした。