みならいノート

世界史探究 2027年度版

南アジアと東南アジアの植民地化

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「世界史探究」D (2) ア (イ) の「アジア諸国の植民地化と諸改革」のうち、南アジアと東南アジアを扱います。思考力等の事項イ (イ) が求める「アジア諸国の変容の地域的な特徴」を比べる材料になります。

0. 何を押さえるか

インドはイギリス東インド会社によって段階的に征服され、インド大反乱のあとイギリス政府の直接統治に移りました。東南アジアでは、イギリス・オランダ・フランス・スペインがそれぞれの地域を植民地化し、タイだけが独立を保ちました。

地域 支配した国 主なできごと
インド イギリス プラッシーの戦い(1757 年)、インド大反乱(1857 年〜)、インド帝国(1877 年)
ジャワ(インドネシア) オランダ 強制栽培制度(1830 年〜)
マレー半島・ビルマ イギリス 海峡植民地(1826 年)、ビルマ戦争
ベトナム・カンボジア・ラオス フランス フランス領インドシナ連邦(1887 年)
フィリピン スペイン マニラの開港(1834 年)、商品作物の栽培
タイ 独立を維持 ラーマ 5 世の近代化

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. イギリスのインド支配

根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)

ムガル帝国が衰えるなか、イギリス東インド会社はフランスとの争いに勝ち、戦争を重ねてインドの大半を支配下に置きました。

1757 年、イギリス東インド会社がベンガル太守とフランスの連合軍を破った戦いは?

プラッシーの戦い

会社を率いたのはクライヴ。これを機にイギリスはベンガル地方の支配を固めた。

イギリスがインドで導入した地税の制度のうち、ベンガルで地主に土地の所有権を認めて納税させた制度は?

ザミンダーリー制

南インドなどでは、農民(ライヤット)に土地の所有権を認めて直接納税させるライヤットワーリー制がとられた。

19 世紀前半、東インド会社はどのような組織へと性格を変えたか?

貿易の独占権を失い、インドを統治する機関になった

1813 年にインド貿易の独占が、1833 年には中国貿易の独占と商業活動が停止された。

2. インド大反乱と直接統治

根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)

イギリスの支配への不満は、会社に雇われたインド人兵士の反乱をきっかけに、北インドの広い地域の大反乱に発展しました。

1857 年に始まったインド大反乱のきっかけとなったのは、どのような人々の反乱か?

東インド会社に雇われたインド人傭兵(シパーヒー)

旧支配層や農民も加わり、反乱軍はムガル皇帝を擁立したが、イギリスに鎮圧された。

インド大反乱の結果、インドの統治体制はどう変わったか?

ムガル帝国が滅び、東インド会社が解散して、イギリス政府による直接統治となった

1858 年のことである。

1877 年に成立したインド帝国で、皇帝を兼ねたのは?

イギリスのヴィクトリア女王

ディズレーリ内閣のもとで成立した。イギリスは、宗教やカーストの違いを利用して対立をあおる分割統治を行った。

3. 東南アジアの植民地化

根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)

東南アジアでは、列強が港と交易路を押さえることから始め、やがて内陸まで支配を広げました。各地で、世界市場向けの商品作物や鉱産物の生産が進められます。

1830 年からオランダがジャワで行った強制栽培制度とは?

農民にコーヒー・サトウキビ・藍などの輸出用作物を栽培させ、安い価格で買い上げる制度

オランダは大きな利益を得たが、ジャワでは食料の不足による飢饉も起きた。

1826 年にイギリスがマレー半島につくった、ペナン・マラッカ・シンガポールからなる植民地は?

海峡植民地

シンガポールは 1819 年にラッフルズが商館を建てた港で、自由貿易港として栄えた。

イギリスが 3 度の戦争を経て、1886 年にインド帝国に併合した国は?

ビルマ(コンバウン朝)

ビルマ戦争と呼ばれる。

フランスが清仏戦争のあと、1887 年にベトナムとカンボジアを合わせてつくった植民地は?

フランス領インドシナ連邦

清は清仏戦争の講和(天津条約、1885 年)でベトナムへの宗主権を放棄した。のちにラオスも編入された。

スペイン領フィリピンで、マニラの開港(1834 年)のあと栽培が広がった商品作物は?

サトウキビ・マニラ麻・タバコ

世界市場向けの作物を作る大農園が広がり、地主の力が強まった。

4. 独立を保ったタイ

根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)

タイ(ラタナコーシン朝)は、東南アジアでただ一国、植民地にならずに独立を保ちました。

1855 年、タイがイギリスと結び、貿易の自由化と領事裁判権を認めた条約は?

ボーリング条約

不平等な条約だったが、これを機にタイは米の輸出で世界市場に組み込まれていった。

タイで行政・教育などの近代化を進め、独立の維持に努めた国王は?

ラーマ 5 世(チュラロンコン)

イギリスとフランスの勢力の間の緩衝地帯という位置も、独立の維持に役立った。

このノートの 13 問を、暗記カードで復習できます

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