イギリスの自由貿易体制と国際分業
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「世界史探究」D (2) ア (イ) の「国際的な分業体制と労働力の移動,イギリスを中心とした自由貿易体制」にあたります。これらを基に「世界市場の形成とアジア諸国の変容」を構造的に理解することが求められ、内容の取扱いでは 19 世紀の世界の一体化の特徴に触れるよう求めています。
0. 何を押さえるか
「世界の工場」となったイギリスは、保護の仕組みを次々に撤廃して自由貿易体制に移り、世界中から原料と食料を買い、工業製品を売る関係をつくりました。こうして、工業国と、原料・食料を供給する地域とが役割を分け合う国際的な分業体制ができ、一つの世界市場が形づくられました。
| 年 | 撤廃・締結されたもの | 意味 |
|---|---|---|
| 1813 | 東インド会社のインド貿易独占の廃止 | インドとの貿易を自由化 |
| 1833 | 東インド会社の中国貿易独占の廃止(翌年実施) | 中国との貿易を自由化 |
| 1846 | 穀物法の廃止 | 安い穀物の輸入を自由化 |
| 1849 | 航海法の廃止 | 外国船による輸送を自由化 |
| 1860 | 英仏通商条約 | フランスと関税を引き下げ合う |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- 穀物法は地主を守る法、その廃止は産業資本家の要求。安い穀物で労働者の生活費と賃金を下げたかった
- 自由貿易で得をしたのは工業で先行したイギリス。後から工業化するドイツやアメリカは、保護関税で自国の産業を守った
- 原料・食料の供給地になった地域は、工業製品を輸入する市場にもされた。分業は対等な関係ではなかった
1. 保護から自由貿易へ
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)
重商主義の時代には、国が特定の会社に独占権を与え、関税で国内産業を守っていました。産業資本家が力をつけると、こうした規制の撤廃を求める声が強まります。
1776 年に『諸国民の富(国富論)』を著し、自由な経済活動を説いた人物は?
アダム=スミス
国家による保護や独占を批判し、自由放任の経済学(古典派経済学)の基礎を築いた。
1815 年に定められた穀物法は、誰の利益を守る法律だったか?
地主(輸入穀物に高い関税をかけ、国内の穀物価格を高く保った)
ナポレオン戦争後に安い外国産の穀物が入ってくるのを防いだ。
穀物法の廃止を求めて反穀物法同盟を率いた人物は?
コブデンとブライト
マンチェスターの産業資本家を中心とする運動で、1846 年に穀物法は廃止された。
産業資本家が穀物法の廃止を求めたのはなぜか?
安い穀物が輸入されれば、労働者の生活費が下がり、賃金を抑えられるから
外国に穀物を買ってもらえれば、その国がイギリスの工業製品を買う力も増す。
1849 年に廃止され、イギリスの自由貿易体制の確立を決定づけた法律は?
航海法
17 世紀に、外国船(特にオランダ船)を貿易から締め出すために定められた法律だった。
2. パクス=ブリタニカ
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)
19 世紀半ば、ヴィクトリア女王の治世のイギリスは、圧倒的な工業力と海軍力を背景に繁栄しました。
19 世紀のイギリスの圧倒的な力のもとで、大きな戦争が少なく保たれた国際秩序を何という?
パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
イギリスは工業力・海軍力・金融力で世界経済の中心に立った。
1851 年、ロンドンで開かれ、イギリスの工業力を世界に示した催しは?
第 1 回万国博覧会
鉄とガラスでつくられた水晶宮(クリスタル=パレス)が会場となった。
19 世紀のイギリスの工業力の圧倒的な優位を表す呼び名は?
「世界の工場」
19 世紀後半になると、ドイツやアメリカが工業で追い上げ、その地位は揺らいでいく。
パクス・ブリタニカの時代、イギリスが世界の金融の中心となった仕組みは?
金本位制のもとで、ポンドが国際的な決済に使われ、ロンドン(シティ)に世界の資金が集まった
イギリスは工業製品だけでなく、海運・保険・海外投資からも大きな収入を得た。
3. 世界の工場と原料・食料の供給地
根拠: 学習指導要領 世界史探究-D-(2)-ア-(イ)
蒸気船・鉄道・電信の広がりで、遠く離れた地域が一つの世界市場に組み込まれました。地域ごとに、何を作って何を買うかの役割が分けられていきます。
国際的な分業体制のもとで、イギリスと、アジア・ラテンアメリカなどの地域は、それぞれどんな役割を担ったか?
イギリスは工業製品を生産・輸出し、他の地域は原料や食料を生産してイギリスに輸出した
供給地にされた地域では、特定の作物だけを大規模に作る経済(モノカルチャー)が広がった。
19 世紀、アメリカ南部がイギリスに輸出した主な原料は?
綿花
黒人奴隷を使うプランテーションで栽培され、ランカシャーの綿工業を支えた。
ドイツの経済学者リストが、イギリスの自由貿易論に対して唱えたのは?
保護貿易論(後から工業化する国は、関税で自国の産業を育てるべき)
アメリカも南北戦争後、高い保護関税のもとで工業化を進めた。
世界中の情報が素早く伝わるようにし、世界市場の一体化を支えた 19 世紀の通信手段は?
電信(海底電信ケーブル)
19 世紀半ば以降、大西洋やインド洋に海底ケーブルが敷かれ、ロンドンと各地が結ばれた。