みならいノート

日本史探究 2027年度版

日露戦争と韓国併合

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このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。

学習指導要領「日本史探究」D (3) ア (ア) の「日露戦争」に当たる部分です。
日英同盟を後ろ盾にロシアと戦った日本は、勝利ののち韓国を保護国とし、1910 年には併合して植民地にしました。

0. 何を押さえるか

日露戦争は、満洲(中国東北部)と韓国をめぐるロシアとの対立から起きました。戦後の日本は、韓国の支配を段階を追って強め、満洲に勢力を広げます。

年 韓国との取り決め 日本が得たもの
1904 第 1 次日韓協約 日本が推す財政・外交の顧問を置かせる
1905 第 2 次日韓協約 外交権を奪い、統監府を置く(保護国化)
1907 第 3 次日韓協約 内政権を握り、韓国軍を解散させる
1910 韓国併合条約 韓国を植民地とし、朝鮮総督府を置く

取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。

1. 日英同盟と開戦

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)

義和団事件(北清事変)のあともロシアは満洲に大軍を残し、韓国にも力を及ぼそうとしました。日本は外交で対抗する道を選び、やがて開戦に踏み切ります。

ロシアとの対立に備え、第 1 次桂太郎内閣が 1902 年にイギリスと結んだ同盟は?

日英同盟

一方が 2 国以上と戦うときはもう一方が参戦する取り決めで、他国がロシアに加わるのを防ぐ意味があった。

日英同盟の前、伊藤博文らが唱えた「満洲をロシアに任せる代わりに韓国での日本の優位を認めさせる」考えは?

日露協商論(満韓交換)

桂太郎や小村寿太郎は、ロシアとの妥協は長続きしないとみて日英同盟を選んだ。

日露開戦に反対し、平民社をつくって『平民新聞』で非戦論を説いた社会主義者は?

幸徳秋水・堺利彦

キリスト教の立場からは内村鑑三が非戦論を唱えた。新聞の多くは開戦を求める主戦論に傾いていた。

出征した弟を思って「君死にたまふこと勿れ」を発表した歌人は?

与謝野晶子

雑誌『明星』に載った。大町桂月らから、国家を危うくする思想だと非難された。

日露戦争の莫大な戦費を、政府はどうやってまかなったか?

国内の増税と、イギリス・アメリカなどでの外国債(外債)

国民の負担が大きかったことが、講和の内容への強い不満につながった。

2. ポーツマス条約と日比谷焼打ち事件

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)

日本は旅順の攻略や日本海海戦で優位に立ちましたが、戦争を続ける力は尽きかけていました。ロシアも国内で革命運動が起き、アメリカの仲介で講和します。

日露戦争の講和条約(1905 年)の名と、日本側の全権は?

ポーツマス条約、小村寿太郎

仲介はアメリカのセオドア=ローズヴェルト大統領。ロシア側の全権はウィッテ。

ポーツマス条約で日本がロシアに認めさせたことは?

韓国への指導・監督権、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道の権利、北緯 50 度以南の樺太

樺太の南半分は割譲、旅順・大連と鉄道は清から得ていたロシアの権利を引き継いだもの。

ポーツマス条約の調印の日、東京で講和反対の国民大会が暴動に発展した事件は? なぜ起きたか?

日比谷焼打ち事件。増税に耐えたのに賠償金が得られなかったから

政府は戒厳令を出して鎮めた。政府の外交に民衆が直接反発した例として重要。

3. 韓国の保護国化と韓国併合

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)

日本は日露戦争の最中から戦後にかけて、協約を重ねて韓国の主権を奪っていきました。列強にも了解を取りつけたうえでの併合です。

1905 年の第 2 次日韓協約で、日本は韓国から何を奪い、何を置いたか?

外交権を奪い、漢城に統監府を置いた(初代統監は伊藤博文)

これで韓国は日本の保護国となった。

韓国皇帝がハーグの万国平和会議に使いを送った事件(1907 年)のあと、日本は何をしたか?

皇帝を退位させ、第 3 次日韓協約で内政権を握り、韓国軍を解散させた

解散させられた兵士も加わり、日本に抵抗する義兵運動が広がった。

韓国の保護国化について、1905 年にアメリカと結んだ桂・タフト協定は、何と何を認め合ったものか?

アメリカのフィリピン支配と、日本の韓国に対する指導権

同じ年の第 2 次日英同盟でもイギリスに韓国の保護国化を認めさせ、列強の了解を固めた。

1910 年の韓国併合のあと、植民地の統治のために置かれた役所と、初代の長は?

朝鮮総督府、寺内正毅

総督は陸海軍の大将から任じられた。土地調査事業で所有者のはっきりしない土地が接収されるなど、朝鮮の人々の生活に大きな影響を与えた。

4. 満洲への進出と列強との関係

根拠: 学習指導要領 日本史探究-D-(3)-ア-(ア)

日露戦争で得た権利をもとに、日本は満洲南部の経営に乗り出しました。これが門戸開放を求めるアメリカとの摩擦を生みます。

1906 年、ロシアから得た旅順・大連を含む地域(関東州)を治めるために置かれた役所と、鉄道を経営する会社は?

関東都督府と南満洲鉄道株式会社(満鉄)

満鉄は鉄道だけでなく沿線の炭鉱なども経営し、満洲進出の拠点となった。

日露戦争のあと、日本とアメリカの関係が冷え込んだ理由は?

日本が南満洲の権益を独占しようとし、門戸開放を求めるアメリカと対立したから

カリフォルニア州などで日本人移民を排斥する動きが強まったことも、関係の悪化に拍車をかけた。

このノートの 14 問を、暗記カードで復習できます

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答えを隠して出題し、忘れそうなころにもう一度出します。

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