国際経済体制と国際経済機関
このノートの問いがそのまま復習カードになり、忘れかけたころに出題されます。
学習指導要領「政治・経済」B (1) ア (イ) の「国際協調の必要性や国際経済機関の役割」。第二次世界大戦後の国際経済の枠組み(IMF・世界銀行・GATT)が
なぜ作られ、固定相場制から変動相場制へどう移り、GATT が WTO へどう引き継がれたかを扱います。
加盟国の数は 2026-09-27 に IMF のプレスリリース(2024 年 10 月 21 日、リヒテンシュタインが 191 番目の加盟国に)と WTO の公表(加盟 166)と突き合わせました。
0. 何を押さえるか
1930 年代の世界恐慌のあと、各国は自国の通貨を切り下げて輸出を伸ばそうとし(為替切り下げ競争)、
本国と植民地などで囲い込んだブロック経済をつくって他の国を締め出しました。貿易が縮み、対立が深まったことが第二次世界大戦の一因になりました。
この反省から、戦後は国際協調の必要性が共有され、通貨と貿易の両面で国際経済機関がつくられました。
| 分野 | 機関・協定 | 役割 |
|---|---|---|
| 通貨 | IMF(国際通貨基金) | 為替相場の安定。国際収支が悪化した加盟国への短期の融資 |
| 開発 | IBRD(国際復興開発銀行・世界銀行) | 戦後復興と発展途上国の開発のための長期の融資 |
| 貿易 | GATT(関税及び貿易に関する一般協定)、1995 年から WTO | 関税の引き下げと貿易の障壁の撤廃、貿易の紛争の処理 |
取り違えやすい分かれ目は次の 3 つ。
- IMF は短期(国際収支の赤字を埋める)、世界銀行は長期(開発のための資金)の融資
- 1971 年のニクソン・ショックで金とドルの交換が止まり、1973 年に主要国が変動相場制へ移り、1976 年のキングストン合意で変動相場制が正式に認められた
- GATT は協定、WTO は国際機関。WTO は物の貿易だけでなく、サービスの貿易と知的財産権も扱う
国際経済機関の現状(時点付き。カードの答えにはしていない): IMF の加盟国は 191(2024 年 10 月から)、WTO の加盟国・地域は 166 です。
WTO の紛争処理で二審にあたる上級委員会は、アメリカが委員の選任に同意しないため 2019 年 12 月から委員が欠け、審理ができない状態が続いています。
1. ブレトン・ウッズ体制
根拠: 学習指導要領 政治・経済-B-(1)-ア-(イ)
1944 年、連合国が IMF と IBRD(国際復興開発銀行)の設立を取り決めた協定は?
ブレトン・ウッズ協定
アメリカのブレトン・ウッズで結ばれた。これにもとづく戦後の国際通貨体制をブレトン・ウッズ体制(IMF 体制)と呼ぶ。
ブレトン・ウッズ体制で、金との交換が保証され、各国の通貨の価値を固定する基準とされた通貨は何か。国際取引の決済に広く使われるこのような通貨を何という?
アメリカのドル。基軸通貨(国際通貨)
金 1 オンスを 35 ドルと定め、各国の通貨をドルに固定した(金・ドル本位制)。円は 1949 年に 1 ドル 360 円に固定された。
国際収支が悪化して外貨が足りなくなった加盟国に短期の資金を貸し出し、為替相場の安定を図る国際機関は?
IMF(国際通貨基金)
融資とひきかえに、財政赤字の削減などの経済政策の見直し(コンディショナリティ)を求めることが多い。
戦後の復興と発展途上国の開発のために長期の資金を貸し出す、世界銀行の中心となる機関は?
IBRD(国際復興開発銀行)
日本も高度経済成長期に世界銀行から借り入れ、東海道新幹線や東名高速道路などの建設にあてた。
2. 固定相場制から変動相場制へ
根拠: 学習指導要領 政治・経済-B-(1)-ア-(イ)
ベトナム戦争の戦費や対外援助、貿易収支の悪化でアメリカからドルが大量に流れ出し、ドルと金の交換に応じきれなくなりました。
ドルを中心に据えた固定相場制は、ここから崩れていきます。
1971 年 8 月、アメリカのニクソン大統領が金とドルの交換を停止したことを何という?
ニクソン・ショック(ドル・ショック)
ブレトン・ウッズ体制の柱だった金・ドル本位制が崩れた。
1971 年 12 月、ドルを切り下げて固定相場制を立て直そうとした合意は何か。このとき円は 1 ドル何円とされたか?
スミソニアン協定。1 ドル 308 円
しかしドルへの信頼は戻らず、1973 年には主要国が変動相場制へ移った。
1976 年、変動相場制を正式に認めた IMF の合意を何という?
キングストン合意
ジャマイカのキングストンで開かれた会議での合意。金の公定価格も廃止された。
1985 年、先進 5 か国(G5)がドル高を是正するため、外国為替市場に協調して介入することで合意したものを何という?
プラザ合意
これを境に急速な円高が進み、日本では輸出産業が打撃を受ける円高不況が起きた。
3. GATT から WTO へ
根拠: 学習指導要領 政治・経済-B-(1)-ア-(イ)
GATT が掲げた 3 つの原則は?
自由・無差別・多角(多国間主義)
関税などの貿易障壁をなくす(自由)、どの国も等しく扱う(無差別)、多数の国が一緒に交渉して決める(多角)。
ある国に与えた最も有利な貿易条件(低い関税など)を、他のすべての加盟国にも与えなければならないという原則を何という?
最恵国待遇
無差別の原則の柱。輸入品を国産品と同じに扱うことを求める原則は、内国民待遇という。
1986 年から 1994 年まで行われ、農産物の関税化、サービス貿易と知的財産権のルールづくり、WTO の設立を決めた GATT の多角的貿易交渉は?
ウルグアイ・ラウンド
日本はこの合意で、コメについては関税化を猶予される代わりに、一定量の輸入(ミニマム・アクセス)を受け入れた。
WTO の紛争処理で、パネル(小委員会)の報告などは、全加盟国が反対しない限り採択される。この決め方を何という?
ネガティブ・コンセンサス方式
全会一致で反対しなければ通るので、訴えられた国が採択を止められない。GATT の時代よりも紛争処理の力が強まった。
2001 年に始まった WTO で最初の多角的貿易交渉で、先進国と発展途上国の対立などから全体の合意に至っていないものは?
ドーハ・ラウンド(ドーハ開発アジェンダ)
多国間の交渉が進まないため、各国は 2 国間や地域での FTA・EPA を結ぶ方向に向かった(地域経済統合と相互依存 を参照)。
4. 国際協調の場
根拠: 学習指導要領 政治・経済-B-(1)-ア-(イ)
石油危機のあと、先進国の首脳が世界経済の運営を直接話し合う場がつくられました。
2008 年の世界金融危機のあとは、新興国も加えた枠組みが重みを増しています。
石油危機後の世界経済の立て直しを話し合うため、1975 年にフランスのランブイエで始まった主要国の首脳会議を何という?
サミット(主要国首脳会議)
いまは G7(日本・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ)に EU が加わる。2008 年からは新興国を含む G20 の首脳会議も開かれている。